048:夏休みと宿題の山 俺は今、がけっぷちに立たされているような心境だった。少しでも動いたら真っ逆さまに落ちて、死んでしまいそうなくらいに。夏休みに入ってから、ずっと閉じっぱなしにしてきたカバン。あと1日で休みも終わるし、新学期の準備でもするかとそれを開けたまでは良かった。とりあえず今の心境を考えると、そこまでは天国だったような気がする。天国だなんてどんだけテンション高かかったんだよ、と思われそうだけど、うん。今の心境がそれだけ酷いということを察してほしい。 カバンの中から出てきたのは、50ページはあるんじゃないかという問題集だった。つまり俺はこの瞬間まで、宿題があるということをすっかり忘れていたのだった。 その場に立ち尽くすこと数十秒。どうやったら終わるのか、どうすれば一番効率が良いのか、いっそのこと諦めてしまおうかとか、色んなことを短い間に考えた。でも結局、最終的にはどれも同じになってしまう。 まず、どうやったら終わるのか。どうやっても何も、終わるためには方法はひとつだ。問題集を燃やすわけにはいかないので、地道に問題を解くしかない。次は、どうすれば一番効率が良いのか。俺はけして頭は良くない。ひとりで考えても答えが一生導き出せない可能性もある。なので誰かを頼る必要があるわけで、そういう時、頼れるのはひとりしかいない。そして最後の諦めるという選択肢。…これを選んでしまったら、なあ。怒られるのが目に見える。…そう、頼れる大親友様に、だ。 そんなわけで、諦められない=宿題をする=ひとりじゃ無理=親友を頼る、という公式が成り立ち、俺は今、国光に電話をしているのだった。 『…夏休み中、何をしていたんだお前は』 案の定、電話の向こうからは固い声。呆れて物も言えないようで、国光にしては珍しい大きな溜息が聞こえて来る。ここで馬鹿者、と怒られないのはだからだよね、と不二辺りなら言いそうだ。不二曰く、俺が一番国光に甘やかされているそうだから。 「ごめん、忘れてたんだ」 遊んでいたと言うとさすがの俺も怒られそうなので、答えになっていない返事を返して素直に白状する。 国光はもう一度溜息を吐いた。 『ずっと忘れていられるのも、一種の才能だな。…言っておくが、褒めてはいないぞ』 何となく、国光が笑っているような気がした。うん、と頷く。 「国光んちに行っていい?」 『ああ。今日と明日は部活もないし、何なら泊まっていっても構わない』 その誘いは魅力的だった。何せ問題集は真っ白で、国光の力を借りたとしても、たった数時間で終わらせられる自信がなかったから。 国光の家はうちからそんなに遠くないので、これから泊まりの用意をしたとしても自転車を飛ばせば30分もかからない。今は14時ちょっと過ぎでお昼時でもないし、すぐに行っても大丈夫だろう。 「じゃあそうする。多分、14時半くらいにはそっちに行けると思う」 『自転車、飛ばさずに来るんだぞ』 「う…何で分かるかなあ」 『単に心配しているだけだ。のことだから、自転車で転んで流血騒ぎになりかねない。本当なら歩いて来いと言いたいところなんだが』 「安全運転で行きます」 そこで遮らないと、延々と注意が続きそうだった。そりゃ一日に一回は転んだりぶつかったりでどこかしらケガしてんのは俺だから、国光が心配してくれるのも無理はないんだけど。あんまり言われると落ち込む。 「気を付けるよ。お邪魔してすぐにケガの手当てしてもらうのはヤだし」 『そうしてくれ』 「じゃ、一旦切るな。また後で」 『ああ、また後で』 通話を切った後、押入れの奥からバッグを取り出して、適当に下着やらジャージやらを詰め込んだ。本当は何か遊ぶものも持って行きたいところだけど、そんなの持って行ったら1週間くらい口聞いてもらえないかも。もちろんそれは嫌なので、必要最低限のものだけを用意した。忘れないよう、問題集とペンケースも入れて。 不思議と、さっきまでのがけっぷち気分はすっかり消えていた。国光が手伝ってくれるなら、問題ないって分かってるからかもしれない。本当、親友様様だ。 バッグを背負って階段の前に立った時、国光の言葉を思い出した。自転車で流血騒ぎって話だったけど、俺の場合、階段から転がり落ちないとも限らない。そろそろと慎重に降りていると、母さんが不思議そうな顔をした。 「、何やってるの?」 「あ、母さん。俺、国光のとこ泊まりに行ってくるから」 「あらそう?手塚くんに心配かけないようにするのよ」 ……どうしてそこで手塚くんに迷惑、じゃなくて、心配って言うかな。 「分かってるよ。じゃあ行ってきます」 「いってらっしゃい」 外は良い天気だった。こんな日は家の中にこもって宿題やるより、外でばーっと走り回りたい気分なんだけど仕方が無い。 跨った自転車は、いつになく快適に走り出した。
( 2009/09/09 )
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