抱き締められた全身が熱い。 一体どうしてこんなことになったんだろう。現実から逃れるように、俺は今までの出来事に思いを馳せる。 雨音セレネイド 外は酷い雨が降っている。部活が終わったとはいえ、これから寮に戻らなければいけないことを考えると気が滅入った。引き摺る足は間違いなく泥だらけになるから、食事の前に風呂に入らないといけない。思わず、ふう、と溜め息が零れる。「どうかしたか?」 テーブルに向かい合うようにしてライバル校のスコアブックに目を落としていた御幸が顔を上げた。御幸はこうして、俺がマネージャーの仕事を終えるのを待っていてくれる。 部員はみんな帰ったし、女子マネも雨が酷いという理由で帰らせた。だからここには部日誌を書くために残っていた俺と御幸のふたりきり。 ざあざあと降る雨は外の音を遮断して、雨の音は聞こえるのに、不思議な静寂が部室を支配していた。おかげで何となく居心地の悪さを感じながら、御幸の問い掛けに何でもないよと首を振る。 「日誌、書き終わったのか?」 「うん。待たせてごめん」 「いーって。どうせ早く戻ったって、倉持にゲームに付き合わされるだけだしな。だったらここでスコア見てた方が有意義だろ?」 そう言えばこの前、新しいゲームを買ったって言ってた。今まで練習練習でろくに出来なかっただろうから、こんな雨の日にはここぞとばかりに周りを巻き込んでいそうな洋一を思い浮かべる。俺たちも多分、戻れば洋一の部屋に引きずり込まれるハメになるんだろう。今頃は沢村が泣きを見ているかもしれない。 「洋一のゲーム好きも相当だけど、御幸のそれも相当だよな。もう覚えてるんだろ?」 暇さえあればスコアブックを見ている御幸。野球に対して御幸は本当に天才的だから、ライバル校のデータは全部頭に入っているはずなのに、何度も何度も目を通す。それはキャッチャーとしての義務の域を越えて、最早趣味と言えるんじゃないだろうか。 「まあな。忘れると困るし、お前らが逐一新しいデータを書き加えてくれるから、何回見ても飽きねぇよ」 「そっか、良かった」 俺たちマネージャーが作ったスコアブックを一番活用してくれる御幸に、感謝の意味を込めて笑いかける。クリス先輩のノートには負けるだろうけれど、俺たちだって真剣に作っているものだから、そう言ってもらえると嬉しかった。 「そろそろ帰ろうか。雨も弱まってきたみたいだし」 「だな」 椅子を引いて立ち上がると、御幸もスコアブックを閉じて立ち上がった。俺の隣に並んだ御幸は、俺を見て、少し驚いたような顔をする。 「…?、お前…」 「何?」 首を傾げて問うと手が伸びてきて、ぽん、と頭に乗せられた。そのまま自分のように引いた手は、御幸の額にぶつかって止まる。その動作の意味に気付いた俺は、あ、と声を上げた。 「ついに抜かされたんだ…」 入学当初、御幸は俺よりも大分小さかった。どうやら高校に入ってからぐんぐん伸びるタイプだったらしく、最近同じ目線になってきたなーと思ってたんだけど。向かい合う御幸の目線は、少しだけ俺を見下ろすようになっている。 「大きくなったなぁ、御幸」 「………」 「御幸?」 何故か黙り込んでしまった御幸を覗き込むようにして見ると、ばち、と目が合った。その視線の強さにどきりとした瞬間――俺は、御幸に抱き締められていた。 「みゆ、」 「すきだ」 「―――え…?」 「より大きくなったら、ずっと言おうと思ってた」 掠れた声で、耳元で囁かれたのは甘い告白。途端に触れた場所から全身に熱が広がっていって、一気に耳まで熱くなった。頭の中は嘘とまさかという単語で溢れ返る。 だって、全然知らなかった。告白されても御幸が断り続けていたのは知っていたけど、今は野球に打ち込むためだと思っていたし、好きな人がいるって話も聞いたことがなかった。そういう話が大好きな洋一が切り出さなかったから、俺も聞いてはいけないような気がしてたんだ。…もしかしたら洋一は、知っていたんだろうか。 「…御幸…」 「なぁ、は?俺のこと、どう思ってんだ?」 俺と御幸の間に少しのスペースが生まれて、今度は御幸が俺の顔を覗き込もうとする。それが恥ずかしくて、慌てて顔を背けたら。頬に何かの感触がして、ちゅ、とリップ音が聞こえた。 「〜〜…!」 「の気持ち、教えろよ」 「…お前、わかってやってるとしか思えない…っ」 相手のことを知り尽くして試合に臨むような御幸が、俺の気持ちを考えずにこういう行動に出るとは思えなかった。だから多分、御幸は知ってる。俺も同じだということ。そうでないなら御幸が、こんなリスクの高い賭けに出るわけない。 「お前の口から聞きたいんだよ。…俺が好きだって」 「……」 どうしよう、何だか泣きたくなってきた。俺は御幸の気持ちに全然気付かなかったのに、御幸にはバレバレだったこととか。情けないし悔しくて、顔を俯かせる。でも今度は額にキスされてしまって、顔を上げずにはいられなくなった。 「…み、御幸…」 「ん?」 俺が名前を口にしただけで、にこにこと嬉しそうに綻ぶ顔。…本当に俺のことを好きでいてくれてるんだと感じられる笑顔を向けられたら……言葉は、素直に溢れていた。 「俺、御幸が好き」 「……」 「…な、何か言ってくれないと困る」 「…幸せすぎて死にそう」 さっきまでものすごく余裕そうに見えた御幸が、今じゃ真っ赤にした顔を背けている。その横顔にぴんときて、俺はさっきのお返しに熱を持った頬に唇を押し付けた。
( 2010/05/09 )
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