「…お前の血が、欲しい」


 首筋に這わせられた手は、小さく震えていたような気がした。もしかしたら、震えているのは自分の方なのかもしれない。ぞくりと背筋を走った何とも言えない感覚に、は思わず目を細めた。


「、ぁ…あかつ、き…」
…」


 搾り出した声は震えていた。けれど架院の方が、泣いているのだろうか、と。そんな錯覚をしてしまう程、小さく掠れた声だった。


「…悪ィ。俺、どうかしてるわ…」


 そう言って顔をくしゃりと歪めた架院に、胸が鷲掴みされたように痛んだ。つきんつきんと訴える痛みは、架院が辛そうにしている限り、きっとずっとなくならない。
 いつか血を求められるかもしれない。日頃からそんな風に思っていた。架院は外見は人間と等しくても、吸血鬼なのだ。血を吸われることを覚悟しないで、付き合うと決めた訳じゃない。
 はこくりと唾を飲み込んで、架院の手に自分の手を重ねた。


「…やる、よ」
「あ?」
「俺の血……お前に、やる」


 覚悟していたとは言え、それを言うことは、とても勇気がいることだった。血を吸われるということは、にとって未知だ。怖くない筈がない。それでも、暁が辛そうなのを見るよりは何倍もマシだった。
 架院は目に見える程に慌てた。もしかしたら、頷かれるとは思ってなかったのかもしれない。


「でも、
「吸血鬼が血を吸うのは…相手への想いを、それで満たそうとするからなんだろ?」


 それは昔、玖蘭に聞いた話だった。吸血鬼は皆、愛する者の血を求めるという。嘘だということはないだろうが、もしそれが本当ならば、にとって架院に血を求められるより嬉しいことはない。


「暁……俺のこと、好き?」


 戸惑うように架院は視線を彷徨わせた後、やがてこくりと頷いた。


「…俺も、な?暁が好きだよ」


 だから、お前に血をやる。そう言うと架院は泣きそうに顔を歪めて、笑った。
 冷たい風が、頬を撫でる。の少し長めの髪が口に入ってしまったのを、架院は目を細めたまま取ってやった。そのまま沈黙が続く。けれど苦痛に感じないのは何故だろう。


「…前から思ってたけどさ…って、バカだよな」
「何が」


 暫くして紡がれた言葉にむっとすると、架院は徐に手を伸ばしての頭を撫でた。その手は酷く優しかった。


「苦労するって…辛いって分かってんのに、俺を選ぶんだもんな」


 苦労はするのだろう。しないとは言い切れない。でも、選ばずにはいられないのだ。は架院が好きなのだから、傍にいられないのは嫌だ。どんなに苦労しても、どんなに辛くても、傍にいたかった。


「…選ばない方が辛い」
「…そ、か」


 今度は柔らかく笑った架院に、ぎゅう、と抱き締められる。大きな背中に腕を回すと、腕の力が強められたのが分かった。
 もう一度、首筋を撫でられる。ゆっくりとした動作に、びくりと体が強張った。架院の息が首筋にかかる度に、体が熱くなる。こんなのは初めてで、どうすればいいか分からない。は架院にしがみ付くことしかできなかった。


…怖いよな、悪ィ…」
「…大丈夫、だよ」


 そう言わなければ、架院が離れていきそうな気がした。だから言いながら、はふわりと微笑む。架院は何も言わなかった。その代わりを見る瞳が、愛しげに細められた。
 を抱き締めていた腕の片方が、頭へと回る。固定された首筋をざらりとした舌が這って、全身を言いようのない感じが襲う。濡れた首筋に歯が立てられた。ごめん、と囁く声が聞こえる。聞こえない振りをして、強く目を閉じた。


「!んっ……っ」


 噛まれた、と感じても、不思議と痛みはほとんど感じなかった。だが血を吸われる音が、首筋が耳に近いせいかとても大きく聞こえる。
 どれくらい時間が経ったのだろう。長く感じても、実際には1分や2分、もしかしたらたった数十秒だったかもしれない。首筋から顔を離した架院は、口元を赤く染めて、酷く扇情的な目でを見てきた。血は見慣れていたからか、それが自分の血だと分かっていても、嫌悪も恐怖も感じなかった。
 袖口で口元を拭った架院に、性急に口付けられる。血を吸われ、呼吸を奪われ。立っていられなくなったがへたり込んでも尚、口付けは続いた。離れたくなかったから、も自ら舌を絡めた。


「…好きだ、…」







それはまるで懺悔にも似て、




( 2006/01/11 )