ある日、大ちゃんの機嫌がすこぶる悪かった。 雰囲気はいつも以上にぴりぴりしているし、話しかけんなオーラも全開。ある程度なら平気な私でも、今回ばかりは近寄ることもできそうにない。…だって一歩でも近付こうものなら、オーラが濃くなるんだもん。 このままだと普通に部活できないのは明らかだし、どうしよう…。そう悩んでいる時、ひょこ、と体育館を覗き込む人影を見つけた。 「くん!」 思わず名前を呼んでしまう。そうだ、くんがいたじゃない! 近くにいた部員たちが何ごとかと見てくるのに気付かない振りをして、驚いたように目を見開くくんに駆け寄る。大ちゃんがくんの存在に気付く前に、お願いしないといけない。 「さ、さつきちゃん?」 「ごめんねっ、ちょっとこっち来て!」 うろたえるくんの腕を引っ張って廊下に出る。そこで向かい合って、顔の前で両手を合わせた。 「おねがい!大ちゃんの機嫌、直してください!」 「え…青峰、機嫌悪いの?」 体育館の中にいる大ちゃんを気にしてか、今出てきたばかりの入り口にちらちらと視線をやるくん。こっくりと首を大きく縦に振ると、苦笑いを浮かべた。 「さつきちゃんでもだめなの?」 「だめなの」 「俺で機嫌直せるかなあ…」 不安そうにするくんは、自分がどれだけ大ちゃんに好かれているか分かっていない。 「くんなら大丈夫だよ!」 というか、くんに直せないなら誰にも直せないよ! そう熱弁すると、くんは小さく頷いてくれた。 「ありがとう!…そういえば、くんはどうしてここに?」 「あ、えーと…たまには、一緒に帰ろうかと思って」 誰と、とは言わなかったけど、それが大ちゃんなのは真っ赤になったくんからも明らかだった。 …なんかもう、男子とは思えないくらい可愛すぎる。大ちゃんがめろめろになるのも当然よね。 そんなことを思いながら照れるくんを見ていたら、背後から突然声がした。 「ほな、もう連れてってええで」 「え?」 振り向くと、いつの間にか入り口のところに今吉さんが立っていた。 「でも、まだ部活中ですよ?」 「ええよ。おられても迷惑や」 遠慮も何もないその言葉には、確かに、と苦笑いしか浮かばない。あんな様子の大ちゃんがいたら、周りの練習が捗らないもの。 「じゃあ私、大ちゃんのこと呼んで来ます」 あの状態の大ちゃんに声を掛けるのは憚られるけど、しょうがない。くんを待たせるのも悪いし、善は急げっていうものね。 「え、ちょ、さつきちゃん?!」 だからくんの私を呼ぶ声を背中に聞きながら、私は体育館の中に引き返した。 部員たちが、今度は何だと見てくるのがわかる。部活の邪魔になっているのはわかっているけど、キャプテンの許可は貰っている。ごめんなさい、と心の中で謝りながら、大ちゃん目指して走った。 「青峰くん!」 みんなの手前そう呼ぶと、ひとりでシュート練習をしていた大ちゃんは、ものすごく迷惑そうな顔で振り向いた。それに怯みそうになったけど、くんの笑顔を思い出してなんとか堪える。 「ちょっと来て!」 話す暇を与えると絶対文句ばっかり言われると思ったから、さっきくんにしたみたいに腕を引っ張って、今縦断したばかりの体育館を引き返した。大ちゃんに本気で抵抗されたら引っ張ることなんてできなかっただろうけど、強行突破に面食らったみたいで、大した抵抗もないままに何とか廊下まで連れ出せた。 「何だよさつき」 不機嫌なのがあからさまな低い声から逃げるために、くんの背後に回り込む。それでようやく大ちゃんはくんの存在に気付いたようだった。 「――――?どうした?」 大ちゃんは意識してないだろうけど、さっきと声が全然違う。幼馴染の私には、一度も向けたことのない声。その声からは、さっきの機嫌の悪さなんて微塵も感じられなかった。くんなら大ちゃんの機嫌を直せるって信じていたけど、顔を見せるだけで良いなんて、くんは本当に凄い。 大ちゃんに話し掛けられて、くんはちらりと今吉さんの方を見た。多分、本当に帰ってもいいのか聞きたかったんだと思う。頷いた今吉さんに、ほっとしたように表情を和らげた。 「一緒に帰ろうって誘いに来たんだ」 そのお誘いが意外だったのか、大ちゃんは目を見開いて、同じように今吉さんを見た。やっぱり、いいのかっていう視線。似たようなふたりに、今吉さんはくくっと笑った。 「…何だよ」 「いや、何も?…今日はもう帰ってもええで」 「……」 どこか楽しそうな今吉さんに大ちゃんは眉根を寄せたけど、すぐにくんのことを思い出したのかちっと舌打ちをしただけで済んだ。でもそのまま、何も言わずにくんの手を取って歩き出してしまう。 「あ、あの、すみません、青峰お借りします。さつきちゃん、ごめんね、ありがとう」 最初の言葉は今吉さんへのもので、後の言葉は私へのもの。それはこっちの台詞だよと思ったけど、大ちゃんが歩く速度を速めたせいで、言葉を返す間もなくふたりの姿は見えなくなってしまった。 「あの子、青峰の友達か?」 今吉さんは、ふたりになった途端にそう問い掛けてきた。それに私は、ちょっと考えてからにっこり笑って答える。 「そうですよ」 本当は付き合っているんだけど、そう言うわけにはいかない。でも今吉さんは、くんが大ちゃんの恋人だろうが友達だろうが赤の他人だろうがどうでもいいようで、ふたりが去った方を見ながらにんまりと微笑んだ。 「くん、な。……覚えとこ」 この時は、今吉さんの言葉の意味がよくわからなかったのだけれど。それから大ちゃんの機嫌が悪くなるたびくんが顔を見せるようになったのを見て、ようやくあの笑顔の意味を理解する私だった。 buffer
( 2013/03/17 )
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