◇morning◇



「…げ、」


 目を覚まして時計を見ると、もう9時になろうというところだった。いつもだったら俺より先に起きて朝食を作ってくれるが、今日はまだ隣で眠り込んでいる。昨日の夜、結構無理させたからな…。疲れてるのかもしれない。
 でも、起こさないで困るのはだ。俺はまだ平気だけど、は仕事がある。


、」


 肩を少し揺さぶると、はうっすらと瞼を持ち上げた。ゆっくりとした動作で目を擦った後、俺の姿を視界に捉えて、柔らかくなる表情。俺の、一番好きな顔。


「…おはよ、静雄」
「はよ。…もう起きないと時間やべーぞ」
「時間…?…あれ、携帯充電切れて…えっ!?」


 普段は携帯のアラームで起きる。考えてみれば今日は鳴らなかった。充電が切れてたからか。 なるほどと思う俺の隣で、は壁の時計を見てがばっと体を起こした。顔面は蒼白になっている。


「やば、寝過ごした…!」
「最初の予約何時だ?」
「10時!」


 美容師と理容師、両方の資格を持っているは、雑誌とかでも取り上げられるような有名な店にスカウトされても丁重に断って、新宿で自分の父親が経営している小さな店で働いている。元々は父親と同年代以上の客層だったと言うが、の兄さんが働くようになってから、その幅は広がったらしい。たちは年寄りのアイドル的存在だったから、噂が噂を呼んで客が増えたのだとか。
 俺としては自分の恋人がちやほやされて、誇らしいような気にくわないような感情が半々だ。でも無理もないと思う。の良さは、俺が一番分かってる。


「今日はしげさんの予約が入ってるんだよ。明日旦那さんとデートだから、綺麗にしてほしいって」


 わたわたと着替えながら、が言ったしげさんというのは常連客の名前。60代後半のおばあさんだと聞いた。結婚して何年経っても旦那と仲が良くて、月に1回はが言ったような理由で予約が入るらしい。嬉しそうに話していたからよく覚えている。


「そうか。なら、綺麗にしてやりてぇよな」
「うん、とびっきり」


 俺の言葉にそれこそとびっきり綺麗な笑みを浮かべて、「あ、歯磨きっ」と言っては洗面台に走っていった。途中鈍い音がしたから、もしかしたら慌てているせいでどこかにぶつかったのかもしれない。あいつは昔から、普段はしっかりしているくせして変に抜けているところがある。
 が歯を磨いている間に、簡単に食えるようなものを手早く作ってやる。戻ってきたは嬉しそうに破顔して、あっという間にそれを平らげた。


「ありがと静雄、ごちそうさま」
「おう」
「俺、もう行かないと。朝からばたばたしてごめんな」


 一瞬だけ頬に触れた熱。素早く離れたは少しだけ頬を赤くしてはにかむと、「行ってきます!」と逃げるように部屋を出ていった。
 残された俺は呆然と頬に触れて、今自分が何をされたかを思い返す。恥ずかしい奴、と思いながらもにやけてしまう顔を引き締めるために、洗面台に向かった。





( 2010/05/19 )