◇noon◇
の姿が見えないと思ったら、大分後ろの方で立ち止まっていた。今時男が料理するのは珍しくも何ともないが、昼間の主婦が多い中、や静雄みたいな若い男性が食材を吟味しているのは奇異に映るのだろう。じろじろと見られるのを睨み返しながら、静雄はの下へと踵を返す。 どうやらは豆腐を何にするかで悩んでいるようだった。両手に違う種類のものを持って、睨むように交互に見つめている。 「豆腐と睨み合って何やってんだ?」 ひょいと背後から覗き込むと、が持っている豆腐がよく見えた。右手に持っているのは絹ごし、左手に持っているのは木綿。のことだから、静雄が好きなのはどっちだろうとか、そんなことで悩んでいたに違いない。 「静雄」 「お前の好きな方選べよ。俺はどっちでもいいから」 問い掛けられる前に答えると、はきょとんと目を丸くした。 「?何だよ」 「や、俺の聞きたいことよく分かったなあと思って」 「わかんだろ、それくらい」 外れても恥ずかしかっただろうが、当たったら当たったでがいつも自分のことを考えていると驕っているようで恥ずかしくなる。そのせいで言い方がぶっきらぼうになってしまったことを気にも留めずに、は嬉しそうに微笑んだ。 「じゃあ絹ごしにする」 「何作るんだ?」 「今日は豆腐の味噌汁にしようと思って。玉葱も入れていい?甘くなっちゃうけど」 「いーぜ」 仕事が休みの前の日は、大抵は静雄の部屋に泊まる。そういう時は外食をするのではなく、ふたりで食材を買って、どちらかが料理を作るという決まりになっている。このことを新羅に言うと、もうすっかり夫婦だね、とからかわれるから腹が立つのだが、は満更でもなさそうに笑うから、殴ることも出来ないでいる。静雄自身も正直な話、が相手なら夫婦と言われるのも悪い気はしなかった。 気付けばは、今度は玉葱と睨めっこをしていた。食材一つひとつを取って良いものを探そうとするを見るのは楽しい。ただ勘に頼っているのではなく、の場合はきちんと食材の良し悪しを見分けることができる。娘と一緒に料理をするのが夢だったという母親に毎日のように買い物に連れ回され、食材の見分け方を教わったのだという。もちろんそれは料理を覚えるための一貫の作業で、当然のようには料理も上手かった。の兄は全然出来ないというから、長男に続いて次男が生まれ、もう娘を産むことを諦めた母親が、そういうことを教える対象を娘ではなくに移したのだろう。 何にせよ、が料理上手なのは静雄にとってはとてもありがたいし嬉しいことでもある。好きな相手の手料理が食べられるのだから。 そんなことを考えていると、とんとんと肩を叩かれた。いつの間にか玉葱のコーナーからの姿が消えていたのでかと思ったら、振り向いた先にいたのはフルフェイスのヘルメットを被った人物だった。レジの近くにいたら強盗にしか見えないであろう彼女は、間違いなく静雄の知り合いだ。 「セルティ?どうした、こんなところで」 『ちょっと買い物にな。静雄もと買い物か?』 「ああ」 『新羅から聞いていたが、本当に仲が良いな、お前たちは』 PDAに打ち込まれているだけの無機質な言葉だったが、何となく静雄にはセルティがからかうように笑っているような気がした。それがむず痒くて、むすりと顔を顰める。きっと新羅がセルティに話している話というのも、ろくなものじゃないに違いない。 「お前らに言われたくねえよ」 『照れるな照れるな。それより、料理作れるのか?』 「…まぁな。俺はともかく、の腕は大したもんだぜ。レパートリー広いし、何作っても美味いから」 『何!?そんなこと新羅は言ってなかったぞ!』 「そりゃ言わねぇだろ。新羅はの手料理食ったことねぇはずだし」 高校は一緒だったが、男には調理実習なんてものはなかった。だから静雄のように直接料理を作ってもらったことがある人物以外は、が料理上手だということを知らないだろう。 ずい、と突き付けられたPDAには、先程よりも迫力が込められているような気がした。不思議に思いながらPDAを覗き込めば、自然と顔が歪む。 『これからを借りてもいいか』 PDAには、そう打ち込んであったのだ。 「だめだ」 『何でだ!料理を教わりたいんだ、良いだろう!?』 「何で今日なんだよ。急過ぎんだろうが」 セルティが切羽詰っている理由に少しだけ興味を持ったが、それよりも先に否定が口をついていた。が泊まりに来るのは久しぶりなのだ。それなのに、他人に邪魔をされるのは御免だった。 『に直接頼んでくる』 「ちょ、おい!」 そう言って踵を返したセルティの肩を掴んで引き止める。に直接会うのを許すわけにはいかなかった。が断るわけがないと簡単に予測できるからである。 「セルティ?」 だが静雄の抵抗も虚しく、は自分からやって来てしまった。喜びを全身で表しながらセルティが振り返った拍子に、掴んでいた手も離れる。こうなったら邪魔してもどうにもならないことを、長年の経験で静雄はよく分かっていた。 「セルティも買い物?奇遇だね」 『、私に料理を教えてくれないか!?』 「へ、料理?それはいいけど…」 ちらりとが静雄を見てきた。目が合うと、困ったように笑う。 「また今度でいいかな?今日は静雄と約束してるから」 今日の夕飯は新羅の家で食べることになるだろうと諦めていた静雄には、の言葉は正に予想外だった。それはセルティにとっても同じだったらしく、PDAと雰囲気で目一杯の驚きを表現している。 「あ、今日じゃなきゃだめだとか?」 『い、いや、の都合の良い日でいい…』 「本当ごめん。その代わり、今度買い物から一緒にしような」 にこりとセルティに笑い掛ける。それに何を思ったのか、セルティはにではなく静雄にPDAを向けてきた。 『お前、本当に良い嫁さんを持ったな…!』 明らかに新羅に似てきているセルティ。首を傾げるの横で、静雄はわなわなと拳を震わせた。
( 2010/09/12 )
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