静かな図書室では勉強が捗る。家に帰れば小さな弟たちが騒がしいし、だからと言って塾に通いたいほど勉強が好きなわけでも出来ないわけでもない。だからにとって、図書室は正に勉強するには打って付けの場所だったのだ。
 ―――今までは。
 遠くで騒ぐ音が聞こえる。また誰かが何か仕出かしたんだろうかとうんざりしながら、用意してきていた耳栓を耳に突っ込んだ。
 高校生にもなって馬鹿騒ぎをするのはやめてほしい。げらげら笑う声を聞くだけで頭が痛くなるし、取っ組み合いのケンカをしているのを見ると、お前らは話し合いで解決できないほど餓鬼なのかと溜め息が出る。
 こんなことを友人の門田に言うと、「お前が達観し過ぎているんだ」とよく呆れられた。自分でもそう思うことはあるが、厳格な父の影響なのだから仕方がない。
 耳栓のおかげで多少静かになったので、勉強を再開させる。
 歴史などのようにどれだけ暗記出来たかを勝負とするものは苦手だ。例えば五教科で500点満点のテストをしたとしたら、歴史は最高でも70点を取れるかどうか。数学なんかは基礎さえ覚えてしまえば後はどうにでもなるのでテスト前に無理して勉強しなくても点は取れるが、歴史はこうして机に張り付かないと難しい。とにかく、見て、読んで、書いて覚えないとだめなのだ。
 そのためには集中する必要がある。集中するためには静かでないといけない。それなのに。

 ガシャン、パリン!

 余計な音が入り込んできたせいで、せっかく集中しかけていたところを邪魔されてしまった。ポキ、とシャープペンシルの芯が折れて、ノートを鉛のみみずが走る。
 心が乱れそうになって、はっと我に返って首を振る。こんなことでキレそうになっていたのでは、普段が馬鹿にしている彼等と何も変わらない。何もボールペンで書いていたわけではないのだ。汚れたノートは、消しゴムで消せば綺麗になる。
 深呼吸をひとつして、消しゴムを手に持った、その矢先。
 風を切る音がして、目の前を黒い何かが物凄い速さで横切った。思わず目で追ってしまったそれは躊躇なく窓から飛び降りたので、は最初、それが人だと気付かなかった。けれど瞼の裏に焼き付いた残像は間違いなく、窓から飛び降りる瞬間、ちらりと背後を振り向いて、とても楽しそうに嗤っていた。
 その顔とある人物が結び付いて、急激に視界が開けたような気がした。怒鳴り散らす声も、耳障りな笑い声も、割れたガラスも。全て彼等が原因なら、納得がいく。
 ならばもうすぐ、彼がやってくるのだろう。窓から飛び降りた、折原臨也を追って。耳栓を外してみればやはり、物凄い勢いで廊下を走る足音が近付いてくる。


「臨也ぁぁぁぁあ!!!」
「折原臨也ならもういないよ」
「…あ?」


 臨也を探して図書室に飛び込んできた静雄に淡々とそう答えれば、驚いたように見開かれる目。その目がを捉えた瞬間、うろたえて揺れたのをは見逃さなかった。
 抑えた怒りがふつふつと込み上げる。騒いでいたのがどうでもいい人間なら、自分は無関係だと相手を蔑んでいればいい。けれど中心にいるのが静雄なら話は別だ。は自分の友人を注意せずにいられるほど、薄情でも愚かでもない。


「静雄。さっきガラスを割ったのはお前か?」
「あれは臨也が、」
「折原が?折原が、割ったのか?」


 念を押すと、静雄はう、と言葉を詰まらせた。


「…割ったのは、俺だ。あと、机とかドアもいくつか壊した」


 馬鹿な男も、乱暴な男も、子どもっぽい男もは好きではない。それでも静雄が友人である所以は、こういうところにある。静雄は嘘を吐かない。吐こうとしない。その潔さを気に入っているのだ。


「折原が挑発したんだろうってことは想像つくけど、それに乗ってあちこち壊すなって何度も言ってるだろ?」
「それは分かってんだけどよ…」


 静雄がの言葉をきちんと胸に留めていて、それでも臨也の存在が許せなくて、力加減が出来ずに感情のままにいろいろなものを壊してしまうのだということは、自身もよく分かっている。静雄は不器用なのだ。一度にたくさんのことを考えられない。かっとしたらそれが最後、他のことはすべて頭の片隅に追いやられてしまう。
 だから先程、恐らく追い付かない静雄に対してだろうが、窓から飛び降りる直前に臨也が嗤ったことは黙っておく。そんなことを告げてしまったら、せっかく落ち着いた静雄がまた激昂することになるのは目に見える。
 今日はとことん勉強しようと思ったが仕方がない。は静雄に気付かれないよう小さく溜め息を吐いて、勉強道具の片付けにかかった。


?勉強してたんじゃねぇのかよ」
「お前が壊したもの、片付けないとダメだろ」
「あー……悪ィ」
「別にいい。もう慣れた」


 嫌々手伝っているんだと思われないように、真正面から視線を合わせて、ニ、と唇の端を吊り上げる。大きな体をしゅんと項垂れて小さくしていた静雄はそれに少し表情を回復させて、図書室を出ようとするの隣に肩を並べた。

飼い主とワンコ

( 中村キエさま、リクエストどうもありがとうございました! )
( 2010/10/30 )