◇evening◇
指定された居酒屋に入ると、がカウンターで店主とにこやかに談笑しているのが目に入った。若くセンスもいい彼は本来ならこのような古い居酒屋では浮いてしまうはずなのだが、持ち前の人の良さからか、すっかり馴染んでしまっている。 「悪い、待たせたな」 「あ、京平。生でいい?」 「ああ」 門田が隣に座ると、は店主にふたり分の飲み物を頼む。見ればカウンターに乗っているのは枝豆だけで、今まで何かを飲んでいたような形跡はなかった。律儀な彼は、門田が来るまで待っていたのだろう。 店内は混んでいるのに、ほとんど待つことなくジョッキとグラスが目の前に置かれた。門田は生ビールのジョッキを、は烏龍茶のグラスを手に取って、こつ、と軽く触れ合わせる。 「今日も1日お疲れさま」 「お疲れ」 ぐいっと煽った生ビールは渇いた喉を潤しただけでなく、いつもよりも旨いような気がした。久しぶりに会う友人の影響だろうか。は何でも旨そうに飲むし食べる。 「今日、絵理華ちゃんとゆまっちは?」 普段門田がつるんでいる2人の所在を尋ねられて、自然と顔が歪む。ついさっきまでうっとうしいくらいに引っ付かれていたのを思い出した。 「あー、と飲むっつったら来たがったから撒いてきた」 「連れてきても良かったのに」 「あいつらいると静かに飲めないだろ」 「またまた〜、ちゃんとふたりで飲みたかっただけのくせに」 「っ!?」 突然背後から語尾にハートマークがついていそうな声が聞こえ、揃って振り返ると、そこにはいつの間にか撒いてきたはずの狩沢と遊馬崎が立っていた。にこにこというより、にやにやとからかうような笑みを浮かべている理由はきっと、先程の言葉が示している。 そんな彼らに笑顔を浮かべるとは正反対に、門田は顰め面を更に顰めた。 「…お前ら、ついてきやがったな?」 「ふっふっふ…俺らの尾行術をなめてもらっちゃ困るっす!」 「いやいやゆまっち、それ現実じゃ胸張れることじゃないから」 言いながら狩沢はの隣を、遊馬崎は門田の隣を陣取る。初めて来た店のはずなのに飲み物まで注文する流れが鮮やかで、文句を言う隙もなかった。 「さん、お久しぶりっす!」 「久しぶり。元気そうだね」 「元気っすよ〜。さんに会えたから元気百倍っすね!」 まるで口説くかのように、遊馬崎は間にいる門田のことなど忘れてどこかで聞いたことがある台詞を口にする。呆れて溜め息を吐く門田に狩沢は笑って、の背中越しにこっそり話しかけてきた。 「ゆまっち、ちゃんに会いたくて仕方なかったみたいよ?だから勘弁してあげて」 「だったら遊馬崎がそっちに座れば良かったんじゃないのか」 「ちゃんの隣は私のだもん」 「えっ?」 ぎゅう、と突然左腕に狩沢が抱き着いて、驚いたが声を上げる。もちろん、遊馬崎も黙ってはいられない。 「ちょ、ずるいっすよ狩沢さん!」 「羨ましかったらゆまっちもやれば?ま、シズちゃんが許さないだろうけど?」 「うっ…そんなの無理に決まってるじゃないすかー」 静雄の名前は効果絶大だったようで、遊馬崎は残念そうにカウンターに突っ伏す。静雄にとっての存在がどれだけ大きいか、普段から門田が言って聞かせているからかもしれない。ある意味静雄よりも手を出してはいけないのは、の方であると。 の取り合いをして見せる狩沢と遊馬崎は、どうやらを酷く気に入っているらしい。だからと言って恋愛感情というわけではなさそうで、きっと一番近いのは「萌え」のような感情なのだろう。…門田には想像もつかないし、したくもないが。 「そう言えば、静雄はどうしたんだ?」 一緒に飲もうと誘われた時、当然静雄も一緒なのだろうと思っていたが、来てみれば静雄の姿はない。狩沢は静雄とセットのが見たかったようで(「ちゃんは普段は綺麗系だけど、シズちゃんと一緒だと可愛くなるのがイイ!」と前に言っていた)、身を乗り出して話の先を待っている。 「仕事、まだ終わらないんだって。終わったら迎えに来てくれるって言ってたけど」 「そうか」 「迎えに!?あの人に迎えに来させるなんて…さん、さすがっすね…!」 「ちゃんがドタチンに襲われたりしないか心配なのね!」 「俺がを襲うわけねーだろ…」 門田にとっては親友であり、狩沢の頭にあるようなそういう感情は一切抱いていない。そもそも本当に静雄がそう思っているのだとしたら、初めからと門田を会わせたりしないだろう。 うんざりする門田をよそに、は「違う違う、」と手を横に振る。 「こないだ俺、悪酔いしちゃったからさ。それ心配してるみたい」 「お前がか?珍しいな」 そう言いつつも、だから最初に頼んだのが烏龍茶だったのか、とこっそり門田は納得する。いつもは同じように生ビールを頼むから、少しだけ不思議だったのだ。 「え、さんってお酒強いんすか?」 門田の言葉の裏を読んだ遊馬崎の問い掛けに、は苦笑いを浮かべた。 「そんなことないよ」 「は基本、最初の1杯以外は烏龍茶だからな。酔うほど飲まねぇんだよ」 「じゃあ、その最初の1杯で酔っちゃったってこと?」 「うん。いつもは1、2杯は普通に飲めるんだけど、疲れてると駄目みたいで」 「っ…」 恥ずかしそうに話すにきゅんときて、狩沢は口元を覆って顔を逸らす。隣にいるのが門田か遊馬崎だったなら、ばしばしと背中を叩かれていたことだろう。 「絵理華ちゃん?」 「放っとけ。いつものことだ」 言いながら、いつの間にか遊馬崎が頼んでいた料理の皿をに渡す。先に一口食べたが、からりと揚げた唐揚げは、白髪葱とあんかけが絡んでなかなか美味しかった。の行き付けは露西亜寿司だけかと思っていただけに居酒屋を指定された時は少し驚いたものの、地域密着型の営業をしているので、こういう地元の美味しい店には詳しいのだろう。 ちなみに今日の飲み場所が露西亜寿司でないのは、店主であるデニスに「寿司ばっかり食ってんじゃねぇ」と注意されたからだと誘われた時に言っていた。客に言う言葉ではないが、を心配しているからであり、それが分かっているからこそも従ったのだろう。 「あ、ゆまっち凄い。これ、俺のオススメなんだよ」 「そうなんすか?グッジョブ俺っすね!」 に褒められて嬉しそうに笑う遊馬崎の反対で、なぜか対抗心を燃やして狩沢がメニューと睨めっこをしている。どうやらに褒めてほしいらしい。 「ちゃん、これは?」 「ん?あ、これも好き。絵理華ちゃんも凄いなぁ」 「えへへ〜、褒めて褒めて!」 にこにこと抱き着く狩沢の頭を撫でてあげるは、まるで母親のように慈愛に満ちている。そうすると、さながら狩沢と遊馬崎は母親が大好きな子どもだろうか。そう考えると何とも微笑ましい。 敢えて門田は混ざらず、飲む方に集中していたから気付かなかった。いつの間にか、長身で金髪の青年が店に入ってきていたことに。 「…狩沢、何やってんだお前」 「うわぁ、シズちゃん!」 「シズちゃんって言うな、虫酸が走る。…よう、門田。こいつに飲ませてねぇだろうな」 狩沢をから引き離して、ぽかんとしているの髪をくしゃくしゃに混ぜながら静雄が門田を見てくる。突き刺さるようなその視線には苦笑いしか浮かばなかった。 「ああ、飲ませてない」 「静雄、仕事は?終わったの?」 「おう。悪かったな、遅くなって」 そう言う静雄の声は優しくて、本当にを心配していたのだと分かる。も嬉しそうで、見ているこちらの方が照れくさくなる。このふたりは本当に、昔から変わらない。 「…何か本当、静雄さんってさんには別人っすよね」 静雄にも挨拶をされず、すっかり存在を忘れ去られた遊馬崎が不服そうに耳打ちしてきた。門田からすればそう別人というわけでもないのだが、不機嫌で色々有り得ないことを仕出かす静雄しか見ていなければ、確かに別人に見えなくもないのだろう。とはいえ本来の静雄の気質は、きっとこちらなのだろうが。 「は真っ直ぐな奴だからな」 「そうっすねぇ。…あー、狩沢さん暴走しそう」 ちらりとに視線を向けた門田と遊馬崎のふたりが見たのは、が立ったままの静雄に唐揚げを食べさせているところだった。それを隣でガン見する狩沢。わなわなと震えているのは、歓喜からなのか。 「ああああもったいない…!カメラ持ってくれば良かった!」 「あ?撮らせるかよ」 ぎゃあぎゃあと言い争う狩沢と静雄を、はくすくすと笑いながら見守っている。静雄が来ればこうなるだろうと思っていたが、あまりにも予想通りの展開に門田にも苦笑いしか浮かばなかった。 「ったく、騒がしい奴らだ」
( 2010/12/25 )
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