額に手を当てて瞼を伏せたその姿は、ぱっと見ただけでも具合が悪そうに見えた。けれどクラスメイトに話しかけられた瞬間、まるでそれが見間違いだったかのように、何でもなさそうに笑みを浮かべる。
 そんな、俺には出来ないことを一瞬のうちにやって見せたのことを、素直に凄いと思った。だからこそクラスの連中には腹が立つ。普段からお前らが頼りにしているが体調を崩していても、誰もそのことに気付かねぇのか、と。
 気付いた時には席を立って、の腕を掴んで教室を出ていた。途中何度か聞こえた「ひぃっ」というような怯える声は、間違ってものものなんかじゃない。保健室に着いて早々、その場に座り込んでしまったに、そんな余裕なんてあるわけなかった。顔色は真っ青で、痛みが酷いのか頭を押さえる手は、小刻みに震えている。
 こんなんじゃ、笑みを浮かべるどころか話すのも顔を動かすのも辛かったはずだ。笑いかける、それだけのことに、こいつはどれほど無理したんだろう。


「悪ィ、ちょっと動かすぞ」
「…え――」


 なるべく大きな動きにならないように、慎重にを抱え上げてベッドに運んだ。その間、痛いくらいに感じた視線はきれいさっぱり無視する。


「…あの、」
「喋んな、頭痛ェんだろ。そのまま寝てろ」


 何でとかどうしてとか、そう問い掛けられても俺にはうまく答えを返せない。だから何か言おうと口を開いたの言葉を遮って布団をかける。
 保健室には誰もいなかった。そういや朝、保険医は研修のため今日1日留守だと担任が言っていたのを思い出す。こんな時にいないなんて使えない。机を蹴りたくなったが、の症状を考えて何とか抑え込んだ。きっと小さな音でさえ、今のには大きく響くだろう。
 頼りになりそうなのは新羅しか思い浮かばなかった。でも、携帯に電話をかけても繋がらない。仕方なく直接掴まえに行こうと踵を返すと、


「…もう行くの?」


 小さな声が、後ろ髪を引いた。


「あ?」
「あ…ご、めん、なんでもない…」


 俺に声をかけたのは無意識だったのか、振り向くとは、慌てて恥ずかしそうに布団で顔を隠した。それが普段の優等生なとはギャップがあって、どきりとする。その感情を誤魔化すためにがしがしと頭を掻きながら、近くに置いてあったパイプ椅子を持ってきて、どかりと座った。


「…え、と」
「寝る」
「え?」
「寝る」


 何度聞かれても、新羅を呼びに行かずに残る理由が、がひとりになることが嫌そうだったから、だなんて、素直に言えるわけもない。だから適当に理由をつける。いつもならすぐに察しそうなも、やっぱり調子が悪いんだろう。二度目でようやくはっとした様子を見せて、ふ、と顔を綻ばせた。


「うん…おやすみ」


 それから。目を閉じてみたものの、別に眠かったわけじゃないから眠りにつくことも出来なくて、どうしようかと思い始めた頃。すーすーと、静かな寝息が聞こえてきた。少しだけ瞼を開けると、俺の方に顔を向けたまま、が眠っている。
 さっきよりも顔色が良くなっていることに、ほうっと息を吐く。そんなに時間は経っていないから、クラスメイトと話すのに余程無理をしていたんだろう。…あんな風に、座り込んでしまうなんて相当だ。


「…何でそんなに無理すんだよ」


 具合が悪いなら悪いと、正直に言えば良かったんだ。そうすればあいつらだって心配しただろうし、保健室に行くよう言ったはずなのに。
 体調の悪さを押し隠してまで笑顔を浮かべるなんてこと、俺には出来ない。やろうとも思わない。…でも、だからこそ。それをしてしまうが、気になって仕方がなかった。

1st contact

 強い力で腕を引かれて歩き出しても、しばらくは一体何が起きているのかわからなかった。ただでさえ頭は激しい痛みと熱で鈍っている。それでもフル回転させて、クラスメイトとの会話が途中だったとか何か静雄を怒らせるようなことをしただろうかとか、とりとめもなく考えていたけれど、視界に保健室が入ってきた瞬間、全身から力が抜けていくような気がした。
 本当に脱力していたのだと実感したのは、保健室に入って静雄が俺の腕を離してからだった。少し動いたせいか耳の奥がぐわんぐわんと鳴って、立っていられなくなる。その場に座り込んで頭を押さえても、取り繕う必要がなくなった今では、何でもない振りなんて出来なかった。


「悪ィ、ちょっと動かすぞ」
「…え――」


 頭上から降ってきた声に、動かすって何を、と思うより早く。さっきよりも優しい力で、ふわりと抱き上げられた。静雄が力持ちなのは知っていたけれど、こんなにも軽々と持ち上げられてぎょっとする。
 重くないのかとその横顔を盗み見るけれど、険しい視線が俺に向けられる気配はない。口を開いていいものか思案しているうちに、ベッドの上に寝かされた。


「…あの、」
「喋んな、頭痛ェんだろ。そのまま寝てろ」


 …視界に保健室が飛び込んできた時、正常に働いていない頭でもすぐに、静雄は俺の体調が悪いことに気付いてあの場から連れ出してくれたんだと気付いた。だけどどうしてここまでしてくれるのか分からなくて問い掛けようとしても、俺のことを考えてくれた言葉に遮られては口を噤むしかなくなってしまう。
 静雄がかけてくれた布団の柔らかさと温もり、そして何よりもその心遣いに、頭痛も和らいでいくような気がするんだから不思議だった。別に無理していたつもりはなかったけど、大分無理していたみたいだ。それに気付かないなんて、俺も大概鈍い。
 …そう言えば、保険医の先生はいないんだろうか。きょろ、と見渡すと、保険医の代わりに携帯を耳に当てた静雄の姿が目に入った。けれど相手が出ないのか、焦れているのが分かる。携帯を乱暴にポケットに仕舞った静雄が、そのまま保健室を出ていってしまいそうで――思わず、その後ろ姿に声をかけていた。


「…もう行くの?」
「あ?」


 振り向いた静雄は、驚いたように俺を見る。その視線にはっとする。俺は今、何て言った?


「あ…ご、めん、なんでもない…」


 女の子でもないのに、一人になるのが寂しいだなんて恥ずかしすぎる。せっかくここに来てから初めて視線が合ったのに、情けない俺を見られたくなくて布団で顔を隠した。
 こんな反応をして、呆れられたり怒られても無理はないと思っていたのに、少しの沈黙のあと、聞こえてきたのは金属の擦れる音だった。それがすぐ傍で聞こえたような気がして布団から顔を出すと、ベッド脇に今まではなかったパイプ椅子があって、それに静雄が座っている。


「…え、と」
「寝る」
「え?」
「寝る」


 2回も言わせて、ようやく気付いた。静雄が俺の傍にいてくれようとしているんだということに。
 …どうしよう。俺が引き留めたからだけど、…どうしようもなく、嬉しい。自然に頬が緩んでしまう。


「うん…おやすみ」


 静雄が寝るというのなら、返す言葉はこれが一番適しているような気がした。一番伝えたいありがとうは、あとでたくさん言えばいい。
 静雄が傍にいてくれると思うと、どうしてだろう、酷く安心した。今までは普通のクラスメイトでしかなかったのに、多分今は、仲良い友達よりもずっと安心できる。
 …もしかしたら俺は、こうして手を差し伸べてくれる人を望んでいたのかもしれない、と。安心したせいか急激に襲ってきた睡魔に負けて瞼を閉じながら、最後に考えたのはそんなことだった。





( 2011/10/29 )