「…真ちゃん、手ェ出して」 そう言うが真剣だったので、緑間は言われた通りに右手を差し出した。それをじーっと見つめていたかと思うと徐に両手で包み込まれて、ぎょっと顔を上げる。視線の先で、はみるみるうちに目尻に涙を溜めていった。 「なっ」 「やっぱ俺ホモなんだ…っ」 「…何だって?」 わあっと声を上げて泣き出し、その場に座り込んでしまったを緑間は信じられない気持ちで見下ろす。今が口にしたのは、普通に生きていればまず自分には関係のない単語ではなかっただろうか。思わず遠い目になりかけたが、しかし目の前で友人が泣き崩れているのは事実である。 「、落ち着け。どういう意味だ?」 「だっ、から、おれっ、ほも…っ」 例の単語を口にすると、だーっと滝のように流れる涙。とにかく落ち着かせなければいけないと、緑間はの背に手を置いて優しく上下に撫でた。 「どうしてそういうことになったのか、教えてくれないと分からないのだよ」 「…そ、だよな…ごめん…」 ひく、としゃくり上げながら、涙を拭って深呼吸をする。呼吸が落ち着くと自然と涙も止まったようで、真っ赤な目をしたは今更ながらに恥ずかしそうに俯いて、ぽつぽつと話し始めた。 要約すると内容はこうである。 昨日、はある女の子とデートをした。告白されて断ったものの、一度だけデートしてほしいと頼み込まれたのを了承したのだ。にとっては初めてのデートだったが、明るく積極的な彼女と一緒にいるのは楽しく、付き合ってみるのもいいかもしれないと考えていた。――帰り際までは。 家まで送る帰り道、手を繋いできたのは彼女からだった。緊張していたのか、ひんやりと冷たく、柔らかい感触。それにどきりとしたのは、ときめいたからではない。ばくばくと心臓が早鐘を打ち、額には脂汗が浮かぶ。そこにあったのは確かにその場面では相応しくない嫌悪感で、は彼女と別れるまでずっと必死に吐き気すら込み上げるのを耐えていたという。 「もう、とにかくわけわかんなくて…何で!?ってパニック状態。だから、どうやってその子と別れたかも覚えてない。帰って石鹸で手洗うまで、落ち着かなくて」 「潔癖というわけではなさそうだな…。さっきの行動を考えると、俺と手を繋ぐのは平気なのだろう?」 「んー…それなんだけど、俺、よくよく考えてみたら女の子と手を繋ぐことにトラウマがあんだよね」 「トラウマ?」 こく、と頷く。彼は自分の両手を見つめながら、自らの過去を話し出した。 が通っていた幼稚園では、歩道を歩く時、必ず隣の子と手を繋ぐ習慣があったらしい。生まれ順になって歩いていたため、いつも同じ子と手を繋いでいた。の相手は可愛い女の子だったが、何が原因だったのか、手を繋いだ後はいつも手のひらが臭った。はその臭いが嫌いで、いつも泣きたくなりながら我慢していた。 だからこそのトラウマなのだとは言う。 「…多分、体臭か何かだったんだと思う。だから女の子みんながそうなわけじゃないってわかってんだけど、あの柔らかい感触に触れるとだめなんだ。臭いを思い出して、昔必死になって我慢した分、今は耐えられない」 「…見事なトラウマだな」 「だろ?だから俺、女の子と付き合えないんだって絶対」 「それはまだ分からないと思うが」 「だって俺、好きな女の子できたことないし、真ちゃんたちと一緒にいる方が楽しいし。手に触るだけであんな状態になってたら、デートどころじゃなくない?」 「……」 だったら手に触らなければいいのではないかと思ったが、の話からすると問題は体臭にあるのかもしれないから、下手なことは言えなかった。それにが女の子と付き合うようになったとして、キスやその先をいざしようとした時に今回のような状態になったら、トラウマも深くなるし女の子も傷付けることになるだろう。 黙り込んだ緑間を下から覗き込むようにして、はじっと見つめてくる。その視線に気付いて視線の高さを合わせるためにしゃがみ込むと、潤んだ瞳でこう言われた。 「…真ちゃん、俺と一緒にホモになってくれる?」 神妙な声と顔付き。言っている内容も、からすれば真剣そのものなのだろう。だが、緑間にその約束をすることはできない。 「無理に決まってるのだよ」 「〜…っだったら俺、ずっと一人で生きてかなきゃなんないの?やだよそんなの寂しいじゃん…」 ぶわっとの目にはまたもや大粒の涙が浮かんで、ぐずぐずと鼻を啜る。もちろん落ち着かないのは緑間だ。 「そうとも限らないだろう」 「限るよ。だってフツーのホモってかゲイ?はがちむちが好きなんだろ?俺ひょろいし」 それは緑間も聞いたことがあるが、確かにその点ではは彼らの好みには当てはまらないのかもしれない。ひょろりと長い手足に綺麗に整った顔は黄瀬と並んでいても引けを取らず、女の子にも人気が高いのだから。 「…男も女も大丈夫な男なら良いのではないか?」 「バイってやつ?…ほんとにいんのかな」 「黄瀬ならどっちでもいけそうだがな」 まるきりの憶測でしかないが、彼の性格を考えるとそれもアリのような気がする。黄瀬はのことを気に入っているから、そこのところも問題なさそうだ。 「あー、涼太ね…。でもあいつ女の子大好きじゃん」 「のことも大好きだろう」 「…今度聞いてみる」 「聞くのか」 「あとうちのメンバーで言ったら、…黒子は巻き込むの可哀想だしー…」 「…俺を巻き込んでいて言うセリフか?」 「え、迷惑?てか、軽蔑する?」 眉根を寄せて心配そうに聞いてくるに、浮かぶのは苦笑い。 「してたらこんな話はしていないのだよ」 「…あーあ、真ちゃんがホモになってくれたら話は早いのに」 は本気でそう思っているようで、はあ、と溜め息を漏らした。内容は内容だが頼ってもらえるほど好かれて悪い気はせず、緑間は手持ち無沙汰に眼鏡の位置を直す。 「…真ちゃん」 「何だ?」 「俺とずっと友達でいてね」 いつのまにか、震える手のひらがシャツを掴んでいた。は俯いていて表情は見えないが、きっと色々と余計なことを考えて落ち込んでいるのだろうと簡単に推測出来る。 「当たり前だ」 ちょうど20センチ、緑間よりも低い位置にある頭を撫でてやる。触れることでをより安心させることができると、そう思ったからだ。 は弾けたように顔を上げて、また瞳を潤ませた。けれどさっきと違うのは、目尻を下げて笑ったこと。こういう風に笑うから、緑間はを突き放せないのだ。 例えばどんな君でも、
( 傍に、いるよ )
( 2010/08/25 ) |