『絶対に連れて帰る』 旅立った後藤さんから、そんなメールが届いた。張り切る有里の世話で手一杯かと思っていたけれど、俺のことまでこうして気遣ってくれるところは、世話焼きな後藤さんらしい。…出発する前ぐらい、元気な姿を見せてあげられれば良かったな。ただでさえ大変な後藤さんに、余計なものまで背負わせてしまった。 ありがとうございます、とだけ返信して、握り締めた携帯を祈るように額に当てる。帰ってきて欲しいという俺の思いが、携帯と後藤さんを通して、あの人に届くように。 しばらくそのままデスクに向かっていると、ぶるぶると携帯が震えた。一瞬通じたのかと思って、驚きの余り手からぽろっと零れ落ちる。だけどデスクの上で振動する携帯のサブディスプレイには、ジーノ、と表示されていた。 「…はい」 『なんだい?その声は』 電話の向こう側で思い切り眉を顰めるジーノの顔が浮かぶくらい、その声は不審そうだった。たった二言だけで、俺の心境がジーノにはすべて分かってしまったかのように。 思わず苦笑いが浮かぶ。電話を通してもおかしいと思うくらい、俺の声は落ち込んでいるんだろうか。 「ちょっと、ね」 『考えすぎるのはの悪いところだよ』 「……」 『?』 「あ、ごめん、ちょっとびっくりして」 ジーノの言葉は、ずっしりと俺の心に重みを持たした。何てことはない、ずばりその通りだったからだ。 考えるのは良いことなんだと思うけど、考えすぎるのは良くない。俺の場合正にそうで、いつもいつも余計なことまで考えては、うまく考えがまとまらずにひとり落ち込むことが多かった。そんな俺の姿を隣で見てきたジーノだからこその言葉。そうだよな、と納得する。 達海くんを監督に迎えたい、と後藤さんが言い出してから、俺の気分はずっと沈みっ放しだった。達海くんがいなくなってからの10年は学生の俺を大人にするほど長い時間で、その間に達海くんを知らないサッカーファンが増えたし、俺だって達海くんのいない日本のサッカー事情に慣れてしまった。だから、ずっと会いたいと思っていたのに、どんな顔をして会えばいいのか分からなくなってしまったのだ。 ただ、会いたいと思うことが重要だったのに、そんな風に余計なことを考えたから落ち込むはめになった。ジーノの言葉は、俺にそのことを気付かせてくれた。会うまで不安なのは仕方がないけど、こうして悩んでいることは時間を無駄に消費していることになる。そもそも、本当に連れて帰ってこれるのか確信すら持てない状態なのだから。 「ジーノ」 『ん?』 「ありがと、ちょっと元気出た」 『どういたしまして』 当然のように礼を受け入れたジーノに少し笑って、ふと首を傾げた。俺の話ばかりしていたけど、元々この電話はジーノからかかってきたものだった。 「そう言えばジーノ、俺に何か用だったんじゃないの?」 『の声を聴こうと思っただけだよ。だから用ってほどのものでもないんだけどね』 何年一緒にいても、ジーノの考えていることはよくわからない。俺なんかの声を聴いて、ジーノの得になることなんてないだろうに。…ああでもそれだったら、落ち込んだ声を聞かせて悪かったかな。 『の声もいつもの調子に戻ってきたし、そろそろ切るよ』 「あ、うん」 『お土産を買っていくから、楽しみにしてるといい』 そういやジーノは今沖縄にいるんだったと思い出したところで、電話がぷつりと切れた。…本当にマイペースな奴。 沖縄土産、ね。ジーノのことだから多分、また変なものを買ってくるんだろうなと、机の上に置いてある置物を眺めた。これもいつだったかジーノが買ってきてくれたものだけど、俺だったら絶対買わないと断言できる。 「さん、電話終わりましたか」 ん?と振り向くと、いつの間にかドアのところに私服姿の赤崎が立っていた。もう練習は終わったらしく、その後ろをぞろぞろと選手たちが帰っていくのが見える。 「さーん、バイバーイ」 「おつかれっした」 俺に向けてひらひらと手を振ったり頭を下げたりしていく彼らを見送りながら、携帯をぶらぶらと揺らして電話を終えたことを赤崎に伝える。赤崎はほっとした様子で、俺のところまでやってきた。 「おつかれ」 「っス。…今の、王子ですか?」 「うん、そう。いいよね、沖縄」 こんな時でもなければ俺も一緒に行きたかったなあ、と呟くと、なぜか赤崎は嫌そうな顔をした。でもすぐに無表情に戻ったから、気のせいだと思うことにする。 「で、どしたの赤崎は」 「さん、元気なかったみたいなんで。どうしたのかと」 「え」 その時の俺は多分、はとが豆鉄砲を食らったときのような、そんな顔をしていたに違いない。そんな俺に、赤崎も驚いたような表情を浮かべる。 「何スか?」 「いや、…俺って幸せ者だなあと思って」 JUMPSTART
( 2009/12/05 )
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