「……何で泣くわけ?」


 そう言う持田さんの声も、俺を見る視線も酷く冷たい。それもそうだろう。思うようにいかなかった試合の後に、敵チームの人間の顔なんて見たくもないはずだ。しかも突然泣かれたら、面倒臭いに決まってる。
 試合中、ベンチに座っている持田さんを見た時から、こんな反応を返されることは分かっていた。それでも声をかけずにはいられなかったから、こんな状況になっているのだけれど。


「すみません、」


 手のひらで涙を拭っては、ぼろぼろと溢れるの繰り返し。我慢していたわけじゃないから、嗚咽が漏れないことだけが唯一の救いかもしれない。少なくとも、聴覚的に持田さんを不快にさせずに済む。
 涙だけを流す俺に持田さんは眉をしかめて、深く溜め息を吐いた。


「…こっち」


 強く手を引かれて、近くの部屋に連れ込まれる。かちゃりと鍵の締まる音を背中で聞いても、涙は止まらなかった。
 ふっと影が射して顔を上げると、目の前に持田さんが立っていた。さっきよりは幾らか視線に温度が戻って、俺の涙をユニフォームの袖で拭ってくれる。


「あ…すみませ、」
「もう謝るなよ。それともは、俺を惨めな奴にしたいわけ?」
「違います!」
「うん」


 今日初めて、柔らかく細められた目。それに酷く安心して、せっかく拭ってもらったのに、またぼろぼろと涙が零れる。


「その涙ってさ」
「…?」
「半分は俺のためかもしんないけど、もう半分は違うだろ」
「―――」


 ぎくりと、肩が揺れる。
 この人は酷い人だ。軽い鞭の後に飴を与えて安心させておいて、その後に重い鞭を与えるのだから。
 …でも、もっと酷いのは、俺の方だ。
 持田さんを心配しながら、怪我を抱える姿に他人を重ねた。―――達海くん。俺はあの人の抱える傷に、気付けなかった。
 思い出す。達海くんが再起不能になったと聞いた時の、あの絶望を。それがようやく晴れたのは、元気そうな達海くんの姿を目にした、つい最近のことだ。それでも10年近く抱えた絶望は、今も根強く俺の中に残り、ふとした瞬間に甦ろうとする。…今みたいに。
 否定なんて出来るわけもなく、言葉を失った俺を、持田さんは責めなかった。


「それってさあ、の中で俺とあの監督の存在が同じくらい大きいってことでいいの?」
「……じゃなかったら、ここでこんな風に持田さんのこと困らせてないですよ」


 ず、と鼻をすすりながら呟くと、何故か持田さんは笑った。試合中によく見かける楽しそうなものとは違って、酷く嬉しそうに。さっきまでの機嫌の悪さなんてどこかに吹き飛んでしまったかのようだった。


「なら、その涙の半分が俺のものじゃなくてもいい」
「あ、…ありがとうございます…」
「でも、今だけだ。そのうちのものは全部、俺のものにする」


 まるで、ゴールを見据える時のような貪欲な瞳に捉えられて、動けなくなる。涙すら止まって見入る俺に、持田さんは満足そうに頬を緩めて、ドアの鍵を開けた。
 俺の全てを自分のものにすると言いながら、もう用はないと言わんばかりの行動を取る。ロックが解除される音を聞きながら、不意に思う。この人はきっと束縛なんてしないんだろう。そんなことをしなくても、相手が持田さんから離れられなくなる。気まぐれな持田さんに、嫌われたくない一心で。
 この人は酷い人だ。そしてとても怖い。けれど動けない。―――帰れない。
 こくりと小さく頷いた俺の頬に、持田さんがそっと触れた。労るように慈しむように、普段の持田さんからは考えられないほど、優しく。
 ああまるで中毒のようだ。気付いた時には、もう遅い。
 だって、気付いてしまった。この人の中にある、怪我への不安に。俺に触れる手は優しいけれど、微かに震えていた。きっと持田さんはたったひとりで苦しんでいるのだ。
 達海くんを支えてあげられなかった俺がこんな風に思うのはおこがましいことなのかもしれない。けれどそれでも、この人を支えたいと、出来得る限りのことをしたいと思った。そして今出来るのは、傍にいること。
 震える手に手を重ねる。バカだな。そう言う持田さんの声は、弱々しく掠れていた。

孤高の王

( 以前持田夢に感想を下さった方へ捧げます…! )
( 2010/12/19 )