「…ごめんね、好きなひといるんだ」


 そう言って告白を断るときすら、は優しかった。好きな奴がいるのなら、そんな優しさなど反って酷だろうに。それが何だか無性に苛ついて、学校内だということも忘れて煙草を咥える。
 一緒に帰ろうと誘ってきたのはなのに、獄寺は何故か告白シーンに付き合わされていた。真っすぐ帰るのかと思いきや校舎裏に連れていかれ、ちょうど死角になる位置に「ちょっと待ってて」と置き去りにされたのだから、突然の告白という訳でもないのだろう。それならわざわざこんな日に誘わなくてもいいじゃねーか。獄寺がそう思うのも無理はない。
 そもそもが自分を誘ってくる理由が分からなかった。そんな時間があるのなら、その好きな奴と帰ればいいのだ。
 苛々する、本当に。それなのに何で自分はこんなところで、素直にを待っているのだろう。


「煙草はだめだよ、獄寺」


 唐突に脇から伸びてきた手に、咥えていた煙草を奪われる。反射的にじろりと睨み付けると、そこにはへらりとした笑みを浮かべたが立っていた。


「お待たせ」
「本当にな」
「うん、ごめん」
「……」


 素直に謝られてしまうと逆に何も言えなくなることを、分かってやっているなら質が悪い。獄寺はがしがしと頭を掻いて、それからに背中を向けた。帰ろうという、無言の意思表示だ。
 は早足で歩く獄寺の後を、のんびりとした足取りで付いて来る。暫くふたりとも何も話さないままだったが、しばらくしてが口を開いた。


「ねえ獄寺。俺の好きな人、知りたい?」


 は何でも唐突だ。獄寺に一緒に帰ろうと言うのも唐突だったし、戻ってくるのも唐突だった。そうしてこんな風に聞いてくることも。
 驚いて振り向くと、はにこにこと笑っていた。もしかしたらからかっているのかもしれない。そう思うと素直に頷くのも癪で、素っ気無く呟く。


「別に」
「そっか」


 は何故こんなにも引き際が潔いのだろう。あんな風に思わせぶりなことを言うくせに、そんなに簡単に引かれたら、気になって仕方がなくなるというのに。


「……誰だよ、好きな奴って」
「うちのクラスの人」


 問い掛けると、はやはり簡単に答えた。
 うちのクラス、ということは、獄寺とも同じクラスだということだ。が好きになるような奴が、クラスの中にいただろうか。考えようとしたが、獄寺はクラスメイトの顔と名前をろくに覚えていない。覚えているのは、沢田とよく一緒にいる相手くらいである。思い出そうとする方が無理だった。


「沢田とよく一緒にいるかな」


 眉を顰めた獄寺には軽く笑って、相手をかなり絞り込んだ。まるで獄寺の胸のうちを読んだかのような言葉に、一瞬ぎくりとする。けれどそれを悟られないよう、獄寺はすぐに思い浮かんだ相手の名前を口にした。


「…笹川?」
「京子?違うよ」


 ―――一瞬、の言う京子という人物が誰だか分からなかった。けれどいつも、沢田が笹川のことを京子ちゃんと呼んでいる。だから分からないはずがないのに、が呼ぶと違う人物のように聞こえるのは何故だろう。
 そんな疑問を脳裏に浮かべながら不意に気付いたのは、獄寺はが女子の名前を呼び捨てで呼ぶことさえ知らないということだった。


「花とか山本でもないし、沢田でもない。…ねえ獄寺、俺が何で今日獄寺に一緒に帰ろうって言ったんだと思う?」
「…分かるかよ、んなこと」


 分かるわけが、ない。のことを何も知らないんだと、今気付いたばかりだ。何故かそのことにむしゃくしゃして、視線を逸らしながらチッと舌を鳴らす。
 獄寺が吐き捨てるように言ったせいか、その場に重い沈黙が広がった。不思議に思って顔を上げると、……は寂しそうに笑っていた。


…?」
「…俺ね、嫉妬してほしかったんだよ。俺が好きなのは、獄寺だから」
「あ?」
「でも失敗だったね」


 嫉妬、好き、失敗。が何を言っているのか、今度こそ理解できなかった。


「…ごめん、待っててもらって何だけど、これ以上獄寺と一緒にいると泣いちゃいそうだから…俺、先に帰るね」


 ばいばい。そう手を振って踵を返した、をこのまま帰してはいけないような気がした。咄嗟に男にしては細い手首を掴んで、強い力で引き寄せる。


「っ、」


 突然のことに反射神経が鈍ったのだろう。は足をもつれさせ、バランスを崩して獄寺に向かって倒れかかって来た。それを両手で抱き留めて、獄寺は安堵の息を吐く。


「わっ、悪ィ、大丈夫か?」
「…な、んで…」


 獄寺の腕を掴むの手が震えている。彼にしては珍しい小さく弱々しい声で呟いた後、は顔を上げた。その瞳は湿り気を帯びていて、どくりと胸が鳴る。


「言ったよね、俺。泣いちゃいそうだって。それなのに何でこういうこと…っ…」


 その先の言葉は声にならず、代わりにの大きな瞳から涙がぼろぼろっと零れた。
 まさか本当に泣かれるとは思ってもいなかった獄寺は、思いのほか動揺している自分に気付く。、と名前を呼ぼうとするのに、口が渇いてうまく言葉にならなかった。


「俺は本当にお前が好きなんだよ。だから頼むから、俺のこと好きじゃないなら、放っといてよ…」


 微かに震える手で獄寺の体を押しのけ、ぐし、と手の甲で乱暴に目元を拭ったは、一瞬だけ獄寺と視線を合わせた後、そのまま走り去ってしまった。残された獄寺は追いかけることも呼び止めることもできずに、その場にぼんやりと佇む。


が俺を好きって……マジかよ…)


 だけど疑う余地などこれっぽっちもない。いつも余裕綽々とした表情を浮かべるのあんな切羽詰った表情など見てしまったら、嘘や冗談だと思うことなんてできなかった。






噛み締めた言葉はほろ苦くて、

(それでいてほんのりと甘いのは、)(何故?)

( 2007/07/29 )