何故だか先生に、じっと見られている。どきどきする以上に落ち着かない。俺は何かしただろうか。


「何、先生」


 耐え切れずに問い掛けても、先生は俺から視線を外そうとしなかった。それどころかどこか目を光らせて、ずい、と身を乗り出してくる。なんだか先生の研究対象にでもなった気分だ。


「君は先生にため口だけど、呼び方は変えませんね」
「は?どういうこと?」
「生徒たちはほとんどが、僕のことを若ちゃんとか若サマと呼びます。ですが君は、入学からずっと先生だ」


 ああ、そういうことか。合点がいって、苦笑いが浮かぶ。先生を先生と呼ぶのは普通のことなのに、何でそこに興味を持つんだか。俺としては、先生をあだ名で呼びながら敬語で話す方が不思議だけど。


「先生を先生って呼んじゃいけない?」
「いえ、そういうことではないんですが」


 じゃあどういうことだ。そう聞きたかったけど、どうせ先生のことだから分からないことが我慢ならないだけなんだろう。


「たいした理由じゃない」


 もちろんそこに俺なりの理由はあるけど、それこそ先生からすればまったくどうでもいいような理由だ。だから言う必要はないと判断した。というよりは、言いたくない。
 先生も俺の声に含まれた拒絶の色に気付いたのか、それ以上食い下がろうとはしなかった。


「先生+敬語がいいって言うなら、そうするけど」
「やや。くんが敬語なんて貴重ですね」
「そうでもないだろ。他の先生には敬語だ」


 これには良い顔をしないだろうか。バカにしてるつもりはないけど、ため口が先生ひとりにだけだとそう取られても無理はない。
 けれど先生は、意外にもふわりと柔らかく微笑んだ。


「今のままでいいです。その方が君らしい」
「…そっか」


 頬の筋肉が緩む。やばいな。すごく嬉しい。
 先生にだけ敬語じゃないのは、優等生じゃない俺の本性をさらけ出しているからだ。他の先生には、優等生という仮面を被っているけど、先生にはそれがない。
 そして、他の生徒たちのようにあだ名ではなく先生と呼ぶ理由。…それは、俺のけじめだった。先生に対して抱く感情が普通じゃない俺の、普通でいられるラインを越えないための境界線のようなものなんだ。
 先生と呼ぶことで、俺は俺を戒める。生徒という立場を忘れないようにする。…先生とのこの距離を、維持するために。
 それを許してもらえた。俺らしいと言ってもらえた。…今はそれで十分だ。


「ありがとう、先生」
「何もお礼を言われるようなことはしていないと思うけど」
「わかんなくていいよ。ただ俺が言いたかった、それだけ」


 に、と笑うと、ふわりと笑みを返される。こういうところが、どうしようもないほど好きなんだ。

片想い。

( 2010/10/16 )