好きな人は誰ですか?

「…なーにぶーたれてんだよ?」


 むくれる頬をむに、と抓る。モデルをやっているだけあってきめ細やかな肌は、しっとりと指先に吸い付くようだ。カレンは女にしかモテないと思っているようだけど、この肌に触れたいと思っている男は多い。
 そんな余計なことを考えながら、カレンの前の席に座る。


「アタシのバンビが男に奪られそうなのよねぇ…」


 いつからバンビちゃんがお前のものになったんだ、とは心の中でだけ突っ込んでおく。この様子だとミヨちゃんも「アタシのミヨ」なんだろうな。こんなことばっかり言っているからお姉様に憧れる女の子たちが寄って来るのだと、カレンは気付いてるんだろうか。
 だけど今まで周りにそういう子しかいなかったカレンにとって、バンビちゃんやミヨちゃんが大切な友達なのはよく分かる。だから頬からは手を離して、どうやら本気で落ち込んでいるらしいカレンの頭を撫でた。


「それって嵐のこと?」
「そう、不二山くん」
「バンビちゃんって嵐のこと好きなの?」


 確かにバンビちゃんと嵐の仲の良さはカップルのようにしか見えないけど、嵐がバンビちゃんのことを好きじゃないってことは、この間本人に聞いたから間違いない。だからバンビちゃんを嵐に奪られるってことはないだろうけど、バンビちゃんが嵐を好きだっていうなら話は別だ。あんな魅力的な子に好きになられたら、さすがの嵐も揺らぐかもしれないし。


「違うって言ってるんだけどさぁ…」
「なら違うんじゃねーの?」


 バンビちゃんは恥ずかしいからって嘘を吐くようなタイプじゃない。だから、違うって言ったなら違うんだろう。


「そう思う?」
「思う思う。それに嵐もバンビちゃんのこと好きじゃないっつってたし」
「え、そうなの?」
「こないだ聞いたもん、俺」


 だから安心しろよと言って、にっと笑ってやる。カレンはまだ不安そうだったけど、うん、と笑い返してくれた。


「カレンとくんは本当に仲良しだね」


 くすくすと微笑みながら声をかけてきたのは、話題にしていたバンビちゃんだった。柔道部の関係で大迫先生のところに行っていたみたいだったけど、どうやら用事を終えて戻ってきたらしい。


「バンビ〜、おかえり〜!」
「うん、ただいま」


 さっきまであんなに落ち込んでいたカレンを、戻ってきただけでこんなに明るくさせるなんて、バンビちゃんは凄いと思う。普段から積み重ねた関係もあるだろうけど、バンビちゃんにはそういう雰囲気がある。多分そういうところが、嫁にしたいとか言われる由縁なんだろう。疲れて帰った時にこういう奥さんがいたら、絶対疲れなんて吹き飛ぶだろうし。
 …だからこそ嵐がバンビちゃんを好きにならない理由が分からないんだけど、それを聞いたら余計なことまで聞いてしまいそうで、未だに聞けずにいる。


「何の話してたの?」
「うん?他愛のない話よ」
「というわけで、その他愛ない話に付き合ってやってくれる?」


 立ち上がって、カレンの前の席をバンビちゃんに譲る。エスコートみたいな動作をするとバンビちゃんはありがとう、と笑って、ちょこんと座った。


「バンビ可愛い!それをとバンビがやると、絵になるわ〜」


 その様子を見ていたカレンが、興奮したように身をくねらせる。確かに今のバンビちゃんは可愛かった。こいつ、可愛いもの大好きだからなあ…。


「琉夏あたりがやった方が様になるんだろうけどな」
「……」
「え、何?」


 事実を言っただけなのに、バンビちゃんは驚いたように俺を見てくるし、カレンは呆れたような視線を向けて、あからさまな溜め息まで吐いた。


「ばかね、がやるからいいんじゃない」
「琉夏くんがやったらただの遊び人だよ」


 …バンビちゃんって、桜井兄弟にはなかなか厳しいよな。幼なじみだからなんだろうけど。


って昔から自分の容姿に自覚ないのよね。私服だってアタシが選ばないとジャージばっかり着ようとするし」
「いいだろ、別に。楽なんだよ」
「でも、もったいないよ。そんなにかっこいいのに」


 可愛い女の子にかっこいいと言われて喜ばない男はいない。だけどあんまりデレデレするとカレンに変な誤解をされかねないので、ありがとうとだけ返す。


「それより、くん」


 ちょいちょいとバンビちゃんに手招きをされて、不思議に思いながらも身を屈める。


「あんまりカレンと仲良いと、嵐くんが妬いちゃうから気を付けてね」
「!?」


 こっそりと耳打ちされた内容にぎょっとしてバンビちゃんを見るけど、バンビちゃんはにこにこと笑うだけだった。
 一体バンビちゃんはどこまで知っているんだろう。嵐がそういうことまで彼女に相談しているんだろうか。まさかと思いつつも、相手がバンビちゃんならそれも有り得るかもしれないと思える。
 カレンやミヨちゃんが懐いたり、女の子とあまり話さない嵐がこの子とだけ仲良い理由が少しだけ分かったような気がした。ぱっと見は可愛い女の子でしかないけど、バンビちゃんはそれ以上に食えない人間だ。


「お、俺、嵐のとこ行ってくる」


 とりあえず嵐を問い詰めようと決意して、その場はさっさと後にすることにした。このままいたら、何を言われるか分からない。


「そうしてあげて」
「いってらっしゃーい」


 ひらひらと手を振るふたりに引き攣った笑みを返して、足早に嵐に近寄る。早弁していた背中をばしっと叩くと、嵐はげほげほと噎せた。何か変なところに入ったのか涙目になる嵐を見て、少しだけ胸がすっとする。けど、一応罪悪感もあるので、落ち着くように背中をさすってやった。


「急に何すんだよ、
「今、バンビちゃんにカレンと仲良いと嵐くんが妬いちゃうって言われたんだけど、どういうことかな?」
「あー…」
「お前、バンビちゃんに俺のこと何て言ってんの」
「……ここで言わせんのかよ」
「ここで言えないようなこと言ってんのかよ」


 じろりと睨むと、嵐は観念したように溜め息を吐いた。


「言っとくけど、俺から言ったんじゃねぇよ。あいつが言ってきたんだ」
「何て?」
「嵐くんはくんのことが好きなの?って」
「……で、お前は何て返したんだよ」
「頷いた」


 単刀直入な質問に単刀直入に答えるのは、このふたりだからこそ、なんだろうか。渦中にいる俺としては頭が痛い。別にバンビちゃんは言い触らさないだろうけど、それでも気恥ずかしいと言うか何と言うか。…そもそも抱き締めたい云々は聞いたけど、いつの間にそれが好きだってことになったんだ。


「つーかお前、好きとか付き合うとかよく分からないって言ってたよな?」
「言ったけど、に言われて気付いたんだよ」


 …好奇心に駆られてお節介なことを言ったせいで、恋愛感情に気付かせてしまったんだろうか、俺は。この間、それにも気付くべきだった。俺のこと抱き締めたいの?って聞いて頷かれたことが衝撃的過ぎて、そこまで頭が回らなかった。
 高2にもなってまさか勘違いなんてことはないだろうし、元々嵐の中には俺に対する”何か”があったんだろうけど。きっと俺が何も言わなければ、嵐はそれに気付かなかったはずだ。自分が余計なことをした自覚がある分、嵐の気持ちを突っぱねられない。しかも意外に嫌じゃないとか…自分で自分が分からなくなる。


?」
「嵐、お前は一体俺と、」


 キーンコーンカーンコーン…


「………」


 どうなりたいんだ、と問い掛けようとして、チャイムの音で遮られる。勢いを削がれて金魚みたいに口をぱくぱくさせる俺に、嵐はこの間と同じく何でもなさそうに、チャイム鳴ってるぞ、と言った。


「…戻る」
「ああ」


 嵐から離れて、すごすごと自分の席に戻る。何で俺がこんなに悩まなければならないんだろう。好きだと言われてこんなに悩んだのなんて初めてだ。ていうか真面目な話、彼女も好きな奴もいないとは言え、何でこんなに悩んでるんだ?
 頭を抱えて悩む俺を、嵐はまた笑っているんだろうか。そう思って振り向いたら、笑ってはいなかったけど、嵐はじっと俺を見ていた。見たこともないくらい、柔らかい眼差しで。目が合った瞬間に慌てて視線を逸らした嵐に、見てはいけないものを見たような気がして、俺も視線を元に戻す。
 見なきゃ良かった。あんな姿を見てしまったら、嵐が俺を好きだと実感してしまう。
 頬が熱い。…自分の気持ちが、何だかやばい方向に向かっているような気がした。





( 2011/08/28 )