「志乃ちゃん」 名前を呼ばれて振り向くと、店の外に、沖田と土方、そして最近屯所に居候している千鶴が立っていた。楽しそうな沖田とは正反対に土方は不機嫌そのもので、千鶴に至ってはそのふたりに挟まれ恐縮してしまっている。 “志乃”は盆を胸元に抱え、つかつかと駆け寄りたいのを抑えながら、にこやかな笑みを作った。 「沖田さんじゃないですか、お久しぶりです。今日は副長さんもご一緒なんですね」 「…こいつに無理やり連れられてきたんだ」 じゃなかったら“志乃”になんて会いに来るかと、土方の表情が物語っている。確かに”志乃”が仕事を終えて真っ先に向かうのは土方のところなので、会いに来る必要はまったくない。 だからこの場合、責めるべきは沖田なのだ。不用意に遊びに来るなと何度も言っているのに、彼は一向に聞き入れようとしない。 「ここの甘味、美味しいんだよ」 睨み付ける土方の視線など物ともせず、沖田は千鶴に話しかける。千鶴はその言葉に顔を輝かせながらも、“志乃”と目が合うときょとりと首を傾げた。 「この人はね、志乃さん。僕のこい、」 「沖田さん」 「総司」 余計なことを言おうとした沖田を、“志乃”と土方がたしなめる。そのことに不服そうにしながらも、自らの言動が“志乃”に迷惑をかけるとわかっているのだろう、沖田は何もなかったかのように「ここの給仕さん」と言葉を続けた。 「は、初めまして、雪村千鶴です」 「初めまして、志乃です」 ぺこっと頭を下げる千鶴に、“志乃”も丁寧にお辞儀を返して、にこりと微笑みかける。この甘味処では、これ見たさに来る客も多いと評判の笑顔だ。千鶴も見惚れたようにぽーっとする。 そんな千鶴を見ていると、罪悪感が首をもたげた。“志乃”は彼女を知っている。そして、その逆も然り。何度か会話を交わしたこともあるのだが、それは“志乃”になる前の話なので、千鶴が気付かないのも無理はない。むしろ、気付かなくて当然なのだ。仕事だから仕方がないとは言え、それでも騙す必要のない人に嘘を吐くのは気持ちのいいものではない。 つい溜め息が溢れそうになったが、“志乃”は常に笑顔でいる女でなければならないので、その感情を誤魔化すように3人を席へと案内した。 insensitive 「副長、です。ただいま戻りました」襖の脇に膝をついて、部屋の中に話しかける。中には土方以外に2人の気配を感じたが、きっと昼間のことで呼び出されたのだろうと推測出来たので、敢えて声をかけたのだ。 「おう。入っていいぞ」 それは正しかったらしく、返ってきたのは咎めではなく、入室を許すものだった。 「失礼します」 部屋に入ると、やはりそこには昼間の3人が揃っていた。土方と沖田、千鶴である。だがは土方と向かい合うように座る2人の隣に並ばず、襖の前に正座した。 「昼間は悪かったな」 いつもならば土方は、開口一番に労いの言葉をかけてくれる。けれど今日はそんな言葉で、は思わず笑みを溢した。 「いえ。たまにはうちの人たちも顔を出さないと、返って不自然ですから」 「?永倉や原田は行かねぇのか」 「あの2人には、絶対に来ないようきつく言ってあるんです。特に新八は俺をからかうだけだと思うので」 永倉と原田が店に来たのはただの一度だけなのだが、その時に永倉がの偽名に酷く反応を示したせいで、危うく仕事が出来なくなるところだった。何とか原田が連れ帰ってくれたおかげで事なきを得たが、次もそうとは限らないので、2人を出入り禁止にしたのだ。原田は完全に巻き込まれた形だが、新撰組の中でも特に仲の良い彼らに仕事を見られるのはとてもやりにくいので、それが最善だったと思っている。 「…ああ、志乃、か」 「…志乃さん?」 土方の呟きに千鶴が首を傾げる。そのことに沖田がを見、は土方を見る。土方は億劫そうに息を吐いて、千鶴と向き合った。 「昼間会った、甘味処の志乃という女を覚えているな?」 「はい」 「あの女の正体はこいつだ」 弾かれるように千鶴が見てきたので、はこくりと頷いた。 「え、で、でもさんって男の方じゃ…?」 「男だが、化粧と仕草次第じゃ女にもなれるってことだ。…お前はなりきれてなかったがな」 千鶴の男装を眺めながら、にやりと土方は唇の端を吊り上げた。油断していた千鶴は慌ててしゃんと背筋を伸ばす。胸を張ることで男を意識したかったのかもしれないが、千鶴の場合はそれも可愛らしいだけだった。顔かたちだけの問題ではない。この場合、表情や雰囲気が、まるで女のままなのだ。 「黙っててごめんね。俺の主な仕事は情報収集なんだ。そのために女装して、あの甘味処で働いてる」 「そうだったんですか…」 「それなのに邪魔するようなことしやがって」 そう言って、土方は沖田を睨む。その視線を受け流して、沖田は悪びれずにに笑いかけた。 「志乃ちゃんに会いたかったんだよ」 「屯所でいくらでも会えるだろうが」 「くんには、でしょう?」 悪戯に微笑む姿にぴんときた。つまり沖田は自分で強調しているとおり、にではなく“志乃”に会いたいのだ。 そう言えば昼間に会った時も、千鶴に“志乃”のことを恋人と紹介しようとしていたことを思い出す。 「…悪趣味」 「あ、勿論志乃ちゃんよりくんの方が好きだよ?恋人って紹介したいのも、本当はくんの方だし」 「恋人!?」 しばらく黙って男3人のやり取りを聞いていた千鶴は、そこは聞き逃せなかったらしく声を挟んだ。今の時代、男色は珍しくもないが、そう目にするものでもない。千鶴の反応も最もだった。 「勝手にをお前の恋人にするんじゃねぇ」 「やだなあ、土方さん。嫉妬ですか?」 ニヤニヤと笑って土方をからかう沖田に、溜め息が漏れる。 「んなわけねーだろ!」 「ムキになるところが怪しいなー」 「な、怪しくねぇ!」 「副長、違うって分かってますから、総司なんて放っておいても」 「っ…ああ、そう、だな」 このままではいつまでもこのやり取りが続きそうだと思って言葉を挟めば、土方はどこか焦ったような瞳でを見、それから歯切れ悪く頷いた。何か変なことを言っただろうかと首を傾げて、千鶴と2人、顔を見合わせていると、とうとう沖田は声を上げて笑い出すのだった。
( リクエストどうもありがとうございました! )
( 2010/12/19 ) |