名前の由来 「おー、いいな、それ。美人すぎず地味すぎずで」「それが狙いだから」 そうしろと言ったのは土方だった。あまり容姿が整いすぎていると近寄りがたくなるし、地味すぎると話しかけづらくなる。甘味処の従業員として―――叶うならば看板娘として働くのなら、他より少し可愛いぐらいで、愛嬌がある方が良いだろうと。 そして土方の注文どおりに仕上げるため、質素な着物に身を包み、化粧を施したの姿は、永倉の言うとおりというわけだ。 「でもは素が良いからな。よく見たら美人だって気付かれて、口説かれちまうんじゃねぇのか」 複雑そうな顔をして、原田が唸る。何の心配をしているんだか、と呆れながら、は口を開いた。 「繁盛している店だから問題ない。一人一人ときちんと会話する余裕もないだろうし」 交わせても簡単な世間話が関の山だ。食い下がろうとする客には、忙しいので、と切り返せば良い。 それでもまだ納得のいかなさそうな原田の横で、永倉がじろじろと自分を見ていることに気付いた。 「…なに」 「さすがに店でそんな態度取るわけじゃねぇんだろ?愛想良く話してみろよ」 「……なんで」 にやにやと笑っていることからも、からかわれるのは目に見える。だから出来るならやりたくない、が。出来ないのか?と挑発的に言われてしまえば、自尊心が疼いた。 「そんなこと言うなんて、永倉さんは意地が悪いんですね」 声色を変えて、ふふ、と笑って見せれば、永倉と原田がぴしりと固まった。言っている言葉は嫌味でしかないが、表情次第では印象ががらりと変わる。 「だめですよー、女の子には優しくしないと。そんなんじゃ嫌われちゃいますよ?」 ころころと笑いながら駄目押しでぽんと肩を叩くと、 「…参りました」 と、永倉が頭を下げた。 「さすがだな。本当に看板娘みてぇだ」 原田はいつも素直に賛辞を送ってくれる。内心照れ臭くなりながらも、は演じ続けた。 「ありがとうございます。でも、お代は負けませんからね?」 「…お前、どこでそんなの覚えたんだよ」 「秘密」 の肩に顎を乗せて、背後から抱き着いてくる永倉の額をぺしりと叩く。それでも離れない永倉を、原田が無理矢理から引き離した。 大人気なくぎゃあぎゃあ喚くふたりを尻目に溜め息を吐いて、は着ていた着物の帯をするりと解く。今日はあくまでも土方や近藤に変装姿を見てもらうことが目的だったのだ。それを終えた今、この姿でいる必要はない。 「何だよ、自分で脱いじまうのか?せっかくだから俺が、」 「馬鹿言うな。、着替えるなら隣の部屋で着替えてこいよ」 「嫌、面倒臭い」 まるで正反対のことを言うふたりをばっさり切り捨てて、さっさと普段着に着替える。その間も永倉は不躾な視線を向けてきたし、原田はやっぱり複雑そうに顰めた顔を背けていた。何故そんな反応をされるのかにはまったく分からないが、永倉の視線はまるで舐め回すようで居心地が悪い。 「…新八、」 「ん?」 「見ないで」 「へーへー」 だけどはっきりとそう言えば、簡単に視線を余所に移してくれる。ようやく誰の目を気にすることなく着替え終えたは、未だ視線を逸らしたままの永倉に、もういい、と合図した。彼は妙なところで律儀なので、そうしないといつまで経ってもこちらを見ようとしないのだ。 「そういや」 「何?」 「名前、何て言うんだ?」 「ああ、そういえば聞いてなかったな」 それは変装時の名前のことを言っているのだろう。名無しでは雇ってもらえないので、当然自分で考えた名前がある。 由来が由来なので、出来るならばこれも言いたくない。だがいずれ知れること。他の誰かから名前を聞いた彼等に後で文句を言われるよりは、自分で打ち明けた方が良いだろう。 そう思って、は渋々と口を開いた。 「……志乃」 「志乃か。に似合ってるな」 「ぶはっ!」 褒めてくれた原田の横で、永倉が盛大に吹き出した。あまりに突然のことに、原田と一度視線を交わしてから永倉を見遣ると、今度は腹を抱えてひぃひぃ言っている。 「お、お前もしかしてそれ、忍ぶ任務だからか…っ!?」 「っ!」 かぁっ、と顔が熱くなったのは、図星だったからだ。しのぶから、しの。どうしても良い名前が浮かばなくて、ようやく思いついたのがこの駄洒落のような名前だった。それでも響きを気に入ったので、そのまま採用となったのだ。 志乃という名前はそう珍しいものではない。だから気付かれることはないだろうと思っていたのに、まさか一番鈍い永倉に気付かれるとは。 「お、おい新八、その辺にしとけよ」 「だってよ、まんまじゃねぇか…っ」 「うるさいっ、新八の阿呆!」 未だ笑い続ける永倉に居た堪れなくなり、は近くにあった座布団を投げ付けた。それでも納まりがつかない。 「もういい、志乃なんて名前やめる」 こんなに笑われたら、志乃と名を呼ばれる度に思い出すことになるのは必死だった。それだけは嫌でそう言ってはみるものの、もう変更が利く状態でないことはよくわかっている。だからどうしようもないのに、そう言わずにはいられなかった。 「そんなこと言うなよ、いい名前じゃねぇか」 「だって新八が、」 一生懸命慰めようとしてくれている原田に、伏し目がちにそう答える。すると原田の目の色が変わったのが分かった。ぽんぽんとの頭を撫でると原田は――― 「いい加減にしろ、この馬鹿!」 そう怒鳴り付けて、永倉の背中に思い切り蹴りを入れた。 「ぐえっ!」 今まで腹を抱えて笑い転げていた永倉が、今度は海老反りになって悶絶している。どうやら原田は全力で蹴ったらしい。いつもだったらやり過ぎだと窘めるも、今日ばかりはざまあみろと思う。それくらい容赦なく笑われて恥をかいたのだ。 「に謝れ」 「わ、悪かった…。けどよ、てめぇはもう少し加減ってもんを…」 「加減?もっと強くしても良かったのか?」 息絶え絶えに謝りながら文句を言う永倉に、笑って足を上げる原田。下手したらもう一撃を喰らうと思ったのだろう、永倉は引き攣った笑みを貼り付けて、小さな声でもう一度謝った。 けれど数日後、”志乃”が働く甘味処にやって来た永倉は、再度同じ過ちを繰り返すことになる。そのことでふたりがに出入り禁止令を出されるのは―――また、別の話。
( 2011/07/11 )
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