「…やっぱり人気なかったな」 はぁ、と溜息が漏れる。この間作ったパンプキンパイが人気だったから大丈夫だろうと思ったのに、材料がにんじんと知った途端、客の反応はあからさまに悪くなった。あのオレンジ色と味は、食欲をそそらないらしい。 客の反応の悪さに、思わずむっとしそうになったのを何度堪えたか分からない。客の言いたいことは分かるが、食べてみないうちから不味いと決め付けられるのは正直腹が立つのだ。菓子職人としてのの腕を認めてもらえてないみたいではないか。 たとえばシチューににんじんが入っているのは当たり前に受け入れるのに、パイににんじんが入っているのを受け入れられないというのは変な話だと思う。合う、合わない、は確かにあるだろう。けれど、合わないものを客に出したりはしない。自分で作って、食べてみて美味しかったから、市場に出そうと思ったのに。 「あーあ…これ、どうしよう…」 いつもなら売りに出た帰りには空っぽになるバスケットの中には、オレンジ色をしたパイだけがいくつか残っている。廃棄するにも勿体無いし、自分で食べるにはもう飽きてしまった。改良に改良を重ねるのだ。美味しいと思っても、何度も食べたら飽きもする。 森の中を歩きながら途方に暮れていると、ガサリと草を踏み締める音がした。びくっと体を強張らせて、反射的に音のした方向を見遣る。考え事をしていたせいで気付かなかったが、いつの間にかの背後に、手元にあるパイと同じような髪の色をした男性が立っていた。 彼の全身を一瞥して、頭に生えたうさぎ耳に気を取られながらも腰に下げた銃を警戒する。は瞬時に記憶をフル回転させて、その全てを揃える人物の名を弾き出していた。 エリオット=マーチ。帽子屋ファミリーのナンバー2で、すぐに銃をぶっ放す危険人物だと聞いている。近付くなと言われていたのに、油断してしまった。 「っ……」 目を逸らさないようにしながら、バスケットの中のケーキナイフに手をかける。これがの武器であり、非常時にはナイフから銃に変化する。自分の仕事道具をこんなことに使いたくはなかったけれど、殺されてしまっては菓子作りもできなくなってしまう。それには代えられない。 相手が銃を構えたらすぐにでも構えるつもりでいたのに、けれども彼は予想と違えて銃に手をかけることはなかった。むしろ銃には触れることさえせず、自分の顔の前で両手を合わせ、頭を下げたのだ。 「頼む!それ、オレにくれ!」 「え、…え?」 もちろんには何が何だかわからない。彼は考えずに銃を撃ちまくるというエリオット=マーチではないのだろうか。だが、姿形は見せてもらっていた写真とそっくり同じだ。 は混乱しながら、それでもエリオットらしき人物がまだ頭を下げているのを見て、物事を考えられるまでには落ち着くことができた。気付かれないよう深呼吸をして、彼の言葉を思い返してみる。 彼はそんなに必死になってまで、何が欲しいというのだろう。が持っているのはバスケットだけだ。だったら彼が欲しいのは――― 「…これ?」 バスケットの中からオレンジ色のパイを取り出して、彼の視界に入るように差し出す。すると彼は顔を上げて、嬉しそうにぱぁっと顔を輝かせた。そのあまりの無邪気さに、思わずどきりとする。と同じくらいの年に見えるのに、随分とこどものように笑う男だ。 「いいのか!?」 「う、うん。それでいいなら」 どうせ持ち帰っても、処分することになるだけである。それならば食べたいという人に食べてもらった方が何倍もいい。それに、今更売る気にもなれなかった。 「ありがとな!」 そう礼を言うと彼はの手からパイを受け取って、徐にその場に座って嬉しそうにパイに齧り付いた。けれどすぐに、その動きが止まる。 「う、」 「…おいしくない?」 いつになっても自分が作ったものを他人が食べる時にはその人の反応が気になるもので、は半ばびくびくしながら問い掛けた。今の反応を見る限りでは美味しくなかったのかもしれない。美味しいと思った自らの舌が狂ったとは思いたくないが、有り得ないことではない。 「これ、キャロットパイか?」 「あ…嫌いだった?」 最初に言うべきだっただろうか。これで機嫌を損ねて撃たれたりしたらどうしようとはらはらするに気付いているのかいないのか、彼は満面に笑みを浮かべて首を横に振った。 「にんじんは嫌いだけど、にんじんを使った料理やデザートは好きだぜ。これもすげぇ美味い!」 その言葉を裏付けるように先ほどよりも嬉しそうに食べる彼の姿は、にはとても眩しく見えた。少し視界が潤んで、今日の出来事を意外に引き摺っていたのだと気付く。けれど、売れ残ったパイでも、こんな風に美味しそうに食べてくれる人がいる…。 「ありがとう」 気付いたら座り込んだ彼に視線を合わせるためにしゃがみ込んで、そう礼を述べていた。ぽかんとする彼の口の端にパイの食べかすがついているのを見て、笑みが零れる。 「それ、オレのセリフだぜ?こんなうまいもん貰ったんだから」 「俺が作ったんだ、それ。だから、そんな風に言ってくれてありがとう」 「え。…本当に?」 こくりと頷く。見開かれた彼の瞳に自分が映っているのだと思うと、少しだけ照れ臭い。 「じゃあ、プティングとかムースとかも作れるのか?あ、もちろんにんじん使ってだぜ」 「作ったことないから分からないけど、多分作れると思う」 「オレ、エリオット=マーチ。お前の名前は?」 突然名乗られて驚きつつも、、と答える。やはり自分の記憶は間違っていなかったが、聞いていた人物像とは大分違うように見えたからだ。それに彼は、の作ったものを美味しそうに食べてくれた。名乗らないことなどどうしてできよう。 「、うちに来いよ」 「え?うちって…帽子屋ファミリー?」 「何だ、知ってんのか。だったら話は早いな。今、うちの菓子職人いなくてさ。オレ、の作ったもんもっと食いたいし。な!」 「なって言われても、ボスが許さないんじゃ…」 その話を受ける受けないは置いておいて、帽子屋ファミリーのボスであるブラッドは非常に気まぐれだと聞いている。たとえナンバー2であるエリオットがを連れて行ったとしても、ブラッドが気に入らなければその場で殺されてしまう可能性だってあるのだ。 「大丈夫だって。お前、スコーンとかも作れるだろ?」 「うん」 「ブラッドは紅茶が好きだから、それに合うものを作れる奴を簡単に殺したりしねぇよ」 本当にそうなんだろうか。エリオットのためにもっとたくさんにんじんのお菓子を作ってあげたいし、食べている姿を見たいとも思うのだが、そこだけは簡単に頷けるものではない。 「じゃあ、ブラッドに会うだけ会ってみろよ。絶対ブラッドも気に入ると思うんだけどな」 渋るを、エリオットはそう言って半ば無理やり屋敷に連れて行こうとした。腕を引っ張られながら、その自由奔放なところと強引さは紛れもなくマフィアなんだな、と思う。けれどもにはどうしてもエリオットが怖い人物には思えなかったし、話にも聞いていた上、道中の彼の話しぶりからも窺えるほど崇拝しているブラッドという男を一目見てみたい気持ちにもなっていて、逆らう気はすっかりなくなっていた。 そういうわけでは今、ブラッドの部屋にいるのだが、まるで舐め回すかのように視線を向けられて、非常に居心地の悪い思いをしていた。 「なあ、いいだろ?ブラッド。本当に美味いんだって、こいつの作るキャロットパイ!」 しかもエリオットがそう言うたび、ブラッドの眉間に皺が寄っていくような気がするのは気のせいなのだろうか。それにいつの間にか、会うだけだったはずなのに、菓子職人への雇用を頼むような形になっている。命の危険がないのならそれは構わない、が、この状況だけは逃げ出したい気分だった。 「あの…」 「、だったか」 「は、はい」 「にんじんを使わないものも作れるのか?」 「何だよブラッド、オレに遠慮しなくていいんだぜ?」 「お前は黙っていろ」 ブラッドの表情と噛み合っていない今の会話から、はブラッドがにんじん料理は嫌いなのだということを察した。それならばエリオットがにんじんを強調するたびに不機嫌になっていくのも無理はない。そう考えると何だかブラッドの不機嫌も単なる子どもの我侭のようで微笑ましい。 少しだけ頬を緩めて、「はい」と頷く。するとブラッドは目を見張って、今までの不機嫌さが嘘のように、口元に笑みを浮かべた。 「君も、退屈しなさそうだ。…エリオット。彼の部屋を用意したまえ」 「おう、ブラッドならそう言うと思ったぜ!」 「え、あの」 「採用、だ。今日からこの屋敷は自由に歩き回っていい」 「、オレの後ついてこいよ」 あまりにとんとん拍子に進むので、の理解が追い付かない。取り敢えず仕事に戻ったブラッドに頭を下げて、エリオットに連れられるままにブラッドの部屋を出た。 「部屋、オレの隣でいいよな?」 「それなんだけど、住み込みってこと?」 「ああ、嫌か?」 「ううん、そういうわけじゃない」 もともとには家で帰りを待っているような家族がいるわけではないので、住む場所が変わったところで何ら問題はない。ただひとつだけ気がかりなのは、今ののこの状況を友人が知ったらどう思うか、ということだけだった。 烈火の如く怒り狂う姿を想像して、苦笑いを浮かべた。近付くなって言われていたのを忘れていたわけではないのに、近付くどころか彼らの一員になってしまった。 人生何が起きるか分からない。そんなことをしみじみ思いながら首を横に振ると、エリオットはほっとしたように笑みを浮かべた。 「そういえば…」 「あ?」 「よく俺が食べ物持ってるって分かったね?」 「ああ…最近ずっと仕事が忙しくてさ。飯もろくに食わねぇでいたら腹減って動けなくなったんだよ。そしたら美味そうな匂いがしてきたから行ってみたら、がいたんだ」 だったらは、あのオレンジ色のパイに感謝をしなければならない。あんな風に食べてくれる、最高の客に出会わせてくれたのだから。きっとは自分の作ったものをエリオットが美味しそうに食べてくれるのならばそれだけで、後はもう何もいらないのだ。 キャロットパイに誘われて
( 2009/03/20 )
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