「ユリウス、入るよ」


 ノックしても返事がなかったので、一応断りを入れて部屋に入った。部屋の中を見渡して一番に目に入った光景に、思わず笑みが零れる。返事が返ってこないはずだった。部屋の主は、机に突っ伏して眠っている。


「珍しいなぁ…疲れてるのかな?」


 持ってきたバスケットを音をさせないように机の上に乗せて、ベッドに向かう。綺麗に畳まれていたタオルケットを持って再びユリウスの元に向かうと、たった数秒の間にそれをかけようと思った相手は目を覚ましてしまったらしい。上半身を起こして、半分座った目で俺を見ている。


「あれ、ごめん。起こした?」
「…か。道理で美味そうな匂いがするわけだ」


 バスケットに被せた布を捲って、ふわりと表情を緩ませるユリウス。バスケットの中には、差し入れとして持ってきた焼き立てのパンが入っているから、もしかしてその匂いで目が覚めたんだろうか。
 らしくない可愛さに思わず笑うと、せっかくの笑顔が引っ込んでしまった。勿体ないことをした。


「ごめん、しばらく来れなくて」
「いや、それはいいが……


 声が固くなったことに気付いて、首を傾げる。ユリウスは真剣な顔で俺を見て、ここに座れと言うようにイスを叩いた。何だか嫌な予感がしつつ、言われたとおりにする。


「お前、私に隠していることがあるな」


 ぎく、と肩が揺れたのは、思いっきり図星だったからだ。もちろんそれはユリウスも気付いたようで、眉間のシワが更に増える。
 こういう時、下手に誤魔化そうとすると数日は機嫌を直してくれなくなる。それは困るし、そもそも今日ここに来たのはそれを伝えるためだったんだし、と、腹を括ってユリウスを正面からじっと見据えた。


「…言おうとは思ってたんだけど、怒られると思ったら言えなくて」
「怒られることをしたという自覚があったのか」


 トケトゲと突き刺さる言葉。膝の上で拳を作って、すみませんと頭を下げる。


「まったく、あれだけ帽子屋ファミリーには近付くなと言っていたのに」
「…でも、良くして貰ってるよ?」
「………そうみたいだな」


 さすが長年の友人なだけあって、俺の感情の機微はわかるらしい。ふにゃりと笑えば、呆れたように溜め息を吐かれた。


「それで。経過を聞かせてもらおうか」
「えーと…お腹空かせたエリオットにキャロットパイをあげたら気に入られて…そのまま帽子屋ファミリーに居着くことになったというか…」
「あの脱獄囚か。よく殺されなかったな」
「エリオットが俺に銃を向けたことはないよ」
「…ふん」


 忌々しそうにエリオットのことを口にしたユリウスに思わず強めに言い返すと、ユリウスは意外そうに目を見開いて、それから何が気に入らなかったのか外方を向いてしまった。
 ユリウスとの方が付き合いは長いから帽子屋のみんなのことをどんな風に思っているかは知っているけど、彼らが俺にとっては悪い人たちじゃない以上、そんな風に思われているのは辛い。できるならユリウスにもエリオットたちを好きになってほしいと思う。…無理なのは、十分分かっているし、俺の主観を押し付けるつもりはないから、これ以上は何も言わないけれど。


「…ユリウスは、俺が帽子屋ファミリーと仲良くしてたら俺のことも嫌いになる?」
「……なるわけないだろう」


 実はそれが一番心配だった。でもぶっきらぼうにでも否定してもらえて、心の底から安堵する。エリオットたちもユリウスのことを偏屈だとか根暗だとか色々と言っているけど、やっぱり俺には大切な友人だから。


「……何をにやにやしているんだ。気持ち悪い」
「気持ち悪いはないだろ。酷いなあ」
「それより、差し入れがあるんだろう。コーヒーでも入れてやるから準備しておけ」


 高圧的な物言いは、慣れてしまえば何とも感じなくなる。それどころか普段どおりに接してくれるのが嬉しくて、俺は素直に返事をして、バスケットからパンを取り出した。

焼き立てパンの反省

( 2010/10/02 )