エリオットは知っているだろうか。 がエリオットに抱く想いは、空よりも高く、海よりも深いことに。 きっとエリオットは知らないだろう。 エリオットが誰かに好きだと告げるたび、の胸が悲鳴を上げていることなんて。 シクラメン 「もう、仕方ないわね…少しだけよ?」「サンキュ!だからアリスって好きだぜ〜」 ああ、また、だ。 は顔を顰めて、聞こえてきた声に足を止めた。盗み見るように曲がり角の向こうを覗き込むと、廊下の端でエリオットとアリスが仲良く話しているところだった。 最近、エリオットとアリスの仲が良い。の知らないところで打ち解けたらしく、気付けばふたりでいることが多いし、エリオットは今までブラッドとにしか向けていなかった好意をアリスにも向けるようになった。それを妬んでしまうのは、あまりにも心が狭すぎるだろうか。 だが、恋人が自分ではない相手に好きだと言っているのを聞くのは気持ちの良いものではない。ブラッドに告げる好意にすら、最近ようやく慣れたばかりだというのに。 は逃げるようにくるりと踵を返すと、そのまま前も見ないで歩き出した。そのせいで、ぼふっと何かに勢いよく顔面を打ち付けてしまった。 「ぶっ…」 「何をしているんだ、」 頭上から聞こえてきた声にはっとして、慌てて体勢を元に戻す。ツンとする鼻を擦りながら顔を上げると、どこか楽しげなブラッドと目が合った。どうやら、すぐ後ろをブラッドが歩いていると知らずに突然方向転換したために、ブラッドの肩口に思いきり顔面をぶつけてしまったらしかった。 「ブ、ブラッド…?ごめん、後ろにいたのわからなかった」 「いや、私も避けなかったからな」 言葉の意味がいまいち理解しきれなくてが首を傾げると、ブラッドは意味深に笑みを深めた。その細められた瞳が全てを知っているのだと語っている気がして、思わずブラッドから視線を背ける。 「それで?急用でも思い出したのか」 「え?」 「突然向きを変えただろう」 「あ、…いや、別に理由は…」 やっぱりブラッドは、何にも知らないのだろうか。知っていたらわざわざそんなことを聞いてこないだろうとは思うが、彼の場合は奥底が深すぎて窺い知ることなど出来ない。どちらにしろこんなに歯切れの悪い返答をして、ブラッドが不審に思わないわけがなかった。 ブラッドは困惑するを余所に、ちらりと廊下の奥に視線を向けた。恐らく視線の先には、あのふたりがいるのだろう。当然は落ち着かない。次にかけられるだろう言葉を予測しては、体を強張らせる。 「そうか。じゃあ、私とお茶にしないか?」 根掘り葉掘り問い詰められるかと思いきや、返ってきたのはそんなあっさりとした誘いだった。戸惑いながらもここから離れられるのであればと頷くとブラッドはにっこり微笑んで、の肩を抱いて歩き始める。その方向が本来行きたい方向とは逆だったので、はこっそりとほう、と息を吐いた。 やはりきっとブラッドは気付いているのだ。その上でを気遣ってくれている。…不思議な男だと、思う。普段は風の吹くまま気の向くままに生きているのに、たまにはっとするほど優しくなる瞬間がある。 けれどブラッドは優しくとも、運命は残酷だった。 「あら?いたのね、ブラッド」 「―――」 せっかくが背を向けたふたりの声が、同時にとブラッドの名を呼んだ。いつの間にかこちらに向かってきていたらしい。びくりと揺らした肩を抱く手の力が強まったような気がしたのは、の気のせいだろうか。 「いてはいけないかね?ここは私の屋敷だが」 「はいはいそうね、そうでした」 皮肉を言うブラッドをあしらうアリスは、この屋敷に来たばかりだというのに早くも馴染んでいる。それが余所者だからなのかアリスの人柄なのかは、所詮その他大勢でしかないには分からない。ただ、にとっても気の良い友人であるはずのアリスの顔を今は見られないことは確かで、はこっそりとブラッドの陰に隠れた。 「それより、ふたりでどこか行くのか?」 「ちょっと買い物にね」 その言葉に反応してしまう。アリスがエリオットを誘ったのか、エリオットがアリスを誘ったのか。そのどちらなのかは先程少しだけ聞こえてきた会話を考えれば明白で、無意識に痛む胸を押さえる。 「?どうし、」 「これから私とはお茶会の予定でな。のことは私に任せて、買い物に行くなら早く行ってきたらどうだ?双子に知られたら、着いていくと言って聞かないぞ」 「それもそうね…。エリオット、行きましょう」 「でも、」 食い下がるエリオットの腕を引くアリス。目を合わせたら泣いてしまいそうで、きっと様子のおかしいを心配してくれているのだろうエリオットを見られない。 「俺は大丈夫。いってらっしゃい、ふたりとも」 だから俯いたまま、送り出す言葉を紡いだ。すれ違いざまに「後でな」と声をかけて行ってくれるエリオットの優しさが、今はただ辛かった。
( 2010/10/18 )
|