部屋に戻ってきたは電気を点ける気にもなれず、ベッドに横になって溜め息を吐いた。 エリオットとアリスは、まだ帰ってきていないようだった。あれから時間は3度変わった。昼が夕になり、夕が昼になり。昼が夜になったことで、お茶会はお開きになったのだ。 けして短い時間ではなかったと思う。忙しいエリオットがそれだけの時間空いたなら、一緒に過ごすのは自分が良かった。…そう、思ってしまうほど。 アメリカンブルー ブラッドとのお茶会は楽しかった。あの場を設けてくれたブラッドには感謝してもしきれない。それでもひとりになると、どうしても考えてしまう。笑顔で好きだと告げるエリオットと、同じくそれを笑顔で受け入れたアリスの関係を。を好きだと言うエリオットの言葉を疑ったことは一度もない。彼はとても素直な男だ。好きなものを好き、嫌いなものを嫌いとは言えても、好きなものを嫌い、嫌いなものを好きとは言えない実直さがある。 その言葉の意味が恋愛感情であることも間違いはないだろう。エリオットがブラッドに向ける好意が敬愛であると分かっているように、本当はアリスに向ける好意もそれに近いものだと分かっている。…分かっているのだけれど。そうだと割り切れないのが感情である。 いっそのこと、アリスを嫌いになれたら良かったのだろうか。そう思う度に、どこまで自分は醜いのだと自己嫌悪に陥る。嫌いになれるわけなんてない。アリスは友人なのだ。 はベッドにうつ伏せながら、うう、と唸る。悶々とした気持ちばかりが募って気持ちが悪い。先程はエリオットと目も合わせられなかったくせに、今は顔が見たくて仕方がなくて、は自分の身勝手さにまた溜め息を吐いた。 コンコン、 突如聞こえた、控え目なノックの音に顔を上げる。この屋敷にこんなノックをする人物はいただろうか。ブラッドはの名を呼びながらノックをするし、エリオットはもっと強く、双子はそもそもノックをしない。不思議に思いながらドアを開けると、そこにはエリオットが立っていた。 「…エリオット」 固まるを、エリオットの目が捉える。揺れる瞳。耳はしょんぼりと垂れていて、控え目だったのは落ち込んでいるからなのかと考えた。 「…、大丈夫か?」 「え、」 「さっき、元気なさそうだったろ」 さっきというのは、別れる間際のことだろうか。あの時、心配してくれていたようだったエリオットに、は大丈夫と答えた。それを彼は鵜呑みにはしなかったのだ。きっとアリスと買い物に行っている間にも、そのことが頭の片隅にあったのだろう。だからこうして、を訪ねて来てくれた。 その優しさが辛かったはずなのに、琴線に触れた。ぼろ、と涙が溢れる。目の前にいるのがエリオットなら、こんなにも簡単に溢れてしまう。 「!?」 慌てるエリオットを部屋の中に連れ込んで、ドアが閉まるのを見届ける余裕もなく抱き着いた。こんな時にまで鼻をくすぐるのがアリスの香りではなくエリオットの香りだったことに安堵してしまう自分が嫌で、涙は収まるどころかぼろぼろと零れ落ちる。 「ど、どうした!?そんなに辛いことがあったのか!?」 パタンとドアが閉まれば辺りは一気に暗くなる。そのことを気にした様子もなく、狼狽えながら、それでもの背中を撫でてくれるエリオットに、どうして辛かったのはエリオットがアリスと一緒だったからだと答えられるだろう。 言えない。言えるわけなんてない。ふるふると首を振って、エリオットの言葉を否定する。見えなくても密着しているからそれは伝わったはずなのに、エリオットはやっぱりの嘘を信じてくれなかった。 「…俺には言えねぇ?」 暗闇の中で、エリオットの大きな手のひらがの頬に触れて涙を拭う。その動きは彼にしては珍しく、酷く緊張しているように感じられた。 「え…?」 「さっきまで、ブラッドと一緒だったんだろ?」 その言葉で、先の言葉の意味を理解した。 エリオットは、がブラッドに相談したと思っているのだ。それはあながち外れてもいないが、正解でもない。ブラッドはが何かを言う前に既に悟っていたのだから。 「悪ィ、別に責めてるわけじゃねぇんだ。でも、俺よりブラッドを頼られるってのは正直嫌だっつーか…いや、ブラッドが俺なんかよりずっと頼りになる男だってのはすっげぇ分かってんだけど、の恋人は俺だし、」 「エリオット」 マシンガンのように紡がれる言葉をわざと遮って、は自分の頬に触れるエリオットの手に触れた。 暗闇とはいっても完全に見えないわけではない。廊下から差し込む僅かな光が、エリオットの不満そうな表情を照らし出している。その顔が背けられてしまったのはきっと、エリオットにものまっすぐ見つめる瞳が見えているからだろう。 「…もしかして、嫉妬してくれてるの…?」 声が震えたのは、一か八かの賭けのようなものだったからだ。そんなわけがないと悲観的な自分がいる反面、そうであってくれたらと切望する自分もいる。 「…情けねぇよな」 それは、が望んだ肯定の証。溢れる想いが言葉より先に涙となって、ふたりの手のひらをしとどに濡らす。当然エリオットは驚いた様子を見せる。 エリオットは知らない。を取り巻く感情が、他でもないその嫉妬だということを。だからこそ嫉妬する自分を、情けないと戒めるのだ。がどれほど嬉しく思っているか気付きもせずに。 「だったら、」 「?」 「だったら俺の方が情けない。…アリスに、ずっと嫉妬してたんだ」 情けないと思われても良かった。けれどエリオットの瞳をまっすぐ見据えて告げる勇気はなくて、視線を落として告白する。 エリオットがアリスと仲良さそうにしているところを見るのが辛かったこと。それを悟ったブラッドが、お茶会に誘ってくれたこと。買い物に行くのなら、自分が一緒に行きたかったこと。エリオットを避けてしまったことを後悔して、それでもエリオットが心配して訪ねて来てくれたことが、本当に嬉しかったこと。全部、包み隠さず話した。 「っ……なんだ、そうだったのか…」 エリオットはの告白を黙って聞いていたが、やがて口元を押さえてへなへなと座り込んでしまった。勿論は自分の所為かと慌て、屈んで覗き込む。 「え、エリオッ…っわ!」 そうしたところを引っ張られ、エリオットの上に倒れ込むように抱き締められた。顔を上げようとすれば、それを防ぐように頭を抱え込まれる。 「俺、買い物に行ってる間もお前がブラッドに奪われちまうんじゃないかってすげー気が気じゃなかったんだ」 「っ…」 そんなわけがないと言いたかったが、きっとエリオットにそう思わせたのはの態度だ。後悔するの耳に、その間もエリオットがまるで独り言のように語りかける。 「俺ものこと不安にさせてたんだな。…気付かなくて、ごめんな」 押さえ付けられた頭をぶんぶんと横に振る。それがくすぐったかったのかエリオットはふっと笑って、に顔を上げさせる。正面からぶつかる視線。 「が俺を好きでいてくれているように、俺もが好きだ。お前が不安になるなら、他の奴にはもう絶対好きだなんて言わねぇようにする」 エリオットは嘘を吐かない。今ここでがそうしてほしいと頼めば、アリスはおろかブラッドにさえも好きだと言わなくなるだろう。 けれど。はそこでも首を横に振った。 「いいよ、言っても。その言葉を聞けただけで十分だし、……俺は、そうやって相手に素直に好意を伝えるエリオットが好きだから」 随分と久しぶりに、エリオットに対して自然な笑顔を向けられたような気がした。エリオットはしばらくそんなを見つめていたが、やがて諸共体を起こして、の乾いた涙でぱりぱりになった頬に唇を寄せた。 「俺も、そういうが大好きだ」 「うん、ありがとう」 「…もう、泣かせねえから」 「…うん」
( 2010/11/10 )
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