『…?眠そうだね』


 ふわあ、と堪え切れなかった欠伸をこっそりとしたつもりだったけど、どうやら電話の向こうにも聞こえてしまったらしい。くすくすと笑う声が聞こえてきた。


「ん、ごめん…。昨日寝たの遅くて」
『こっちこそ、疲れてるのに電話に付き合わせてごめんな』


 その言葉に、すっかり眠気は飛んでしまった。それだと、俺が無理やり付き合わされてるみたいだ。確かに電話をかけてきたのは辰也の方だけど、俺だって辰也と話したかった。きっとあと少し遅かったら、電話をかけてたのは俺の方だったと思う。


「謝るなよ。俺も電話しようと思ってたんだから」
『…可愛いこと言ってくれるなぁ』


 声だけじゃ我慢できなくなるよ、と続けられた言葉に、切なくなる。
 辰也が住んでいるのは秋田で、俺は東京。普通だったらすれ違うことすらなかったはずの俺たちは、バスケの試合で偶然出会って、運命みたいに恋をした。だけど俺たちを待っていたのは、遠距離恋愛という辛い試練で。今もまだ俺たちは、その試練に耐えている途中だった。
 この間会ったのは辰也が試合で東京に来た時だったから、もう1か月も前になる。声だけじゃ、もうとっくに我慢なんてできなくなっていた。
 ―――でも。会いたいって言ったら、想いが溢れてどうしようもなくなることも、分かってる。その後、その反動でどれだけ辛くなるのかも。
 だから、言わない。言わないでまた、我慢を重ねる。


「辰也、今、外見られる?」
『ああ、ちょっと待ってて』


 込み上げる感情を押し殺して、わざと話題を逸らす。多分辰也はそれに気付いた上で、敢えて乗ってくれた。電話越しに、カーテンを引く音が聞こえる。


『今日は満月だったんだな』
「俺も今気付いた。…なあ、辰也」
『ん?』
「月、綺麗だな」


 アメリカ暮らしが長い辰也には、きっと意味が通じないだろう。でも、それでもいいと思った上で言ってみた。案の定、辰也は「そうだな、綺麗だ」としか言わなかったけど、俺はそう返してくれたことと、同じ月を見られただけでも嬉しい。
 …ふと時計を見ると、針は遅い時間を指していた。辰也は朝が早い。もうそろそろ電話を切らないと、支障を来たしてしまう。それを伝えると、辰也は溜め息を吐いて、頷いた。


と話していると、時間が短く感じられるよ』
「はは、俺もそう思う」


 電話が来たのはついさっきのことのように感じられるのに、実際は1時間以上も経っている。本当に、楽しい時間というのはあっという間だ。名残惜しいけど、その時間も終わらせないといけない。この間電話した時は辰也が終わらせてくれたから、今日は俺が終わらせないと。


「……じゃあ、辰也。おやすみ」
『おやすみ、。―――I love you,too』


 電話の最後には、「おやすみ」とだけ言い合うのがいつものことだ。だけど今日はいつもと違って、続けられた言葉に、かああ、と体温が急上昇する。
 愛の言葉が照れくさかったわけじゃない。恥ずかしかったのは、I love youのそのあと。
 何で、とか、知ってたのか、とか。聞きたいことはいっぱいあるのに、うろたえるだけで何の意味も成さない単語しか言えない俺に、辰也は電話の向こうでくすくすと笑って。「俺の夢見てくれるといいな」なんて言いながらリップ音を響かせたかと思うと、電話を切ってしまった。


「…絶対わざとだ…」


 知っていたのなら、その時に反応してくれれば良かったのに。そうすれば、ここまで恥ずかしくなかった。辰也はそれを見越した上で、今の今まで引っ張ったんだろう。狙いは……最後の言葉のとおり、なんだろうか。
 通話の切れた携帯を握り締めたまま、布団の中でごろごろと悶える。そうしたら元の眠気も手伝って、うとうとし始めて。結局辰也の言葉どおり、俺は夢で辰也に会うことになるのだった。

電話越しの二人

( 2013/03/23 )
( 「月が綺麗ですね」=「愛しています」by夏目漱石 )