ちゃん、今日も可愛いなあ。相手してくんねー?」
「あ、俺も俺も」


 にやにや、げらげら。女の子はあんなに可愛いのに、どうして男はこんなに汚いんだろう。言葉を投げ掛けられたのは俺じゃないのに、聞いてるだけでも不快になる。
 眉を顰めて隣を見ると、は眉さえ顰めずに男たちを見ていた。その真っ直ぐな瞳に、男たちはぐっと息を詰まらせる。顔が綺麗なだけに、の無表情は結構きつい。


「…
「行こう、森山」


 何か言うのかと思ったのに、はまるで何事もなかったかのようにふいっと視線を逸らして俺の腕を引いて歩き出した。その態度は、男たちの神経を逆撫でしたらしい。
 廊下に座っていた奴が立ち上がって、の肩を掴んだ。


「…っ澄ましてんじゃねーよ!女男のくせによ!」


 相手にされない腹いせに、悪口を重ねるなんて見苦しいにもほどがある。イラッときて言い返してやりたくなったけど、一番言いたいだろうが何も言わず、むしろさっさとこの場から去りたいと思っているなら、それに付き合うのも友達の務めだ。
 だから言い返したいのを我慢しながら男の手をから払い落とした時、


「っ!」
「だせえこと言ってんじゃねーよ」


 そんな声が聞こえてきて驚いた。
 見ればいつの間に現れたのか笠松が男の肩を掴んでいて、男は苦悶の表情を浮かべている。バスケ部の連中は基本的に握力が強い。笠松を見る限り機嫌が悪いみたいだし、きっと相当な力がこめられているんだろう。


「か、笠松…」
「誰が澄ましてるって?相手してほしいんなら、ちゃんとの顔ぐらい見たらどうだ。ああいう言い方するから、怖がってただろうが」


 顔?そう思ったのは男たちだけじゃなく俺も。つられてをじっと見ると、はぽかんと笠松を見つめていた。俺にも無表情で何考えているかわからないように見えたけど、その表情を見れば、笠松の言うとおりだったんだって分かる。


「怖い?」
「怖いだろ。例えば俺がお前に相手しろって迫ったら、お前は怖くないのか?」


 …何かちょっと違う気がするけど、それは怖い。男たちも同様だったようで、こくこくと必死に頷いている。


「わかったなら、に謝れ」
「わ、悪かったよ…」
「ごめんな、ちゃん」
「あ、うん」


 笠松に淡々と説教されて、小さくなった男たちは素直に謝った。は慌てて頷いて、困ったように笑う。


「鈴木と佐藤が言うような相手はできないけど…普通に接してくれるなら、俺もそうするから」
「え」
「…ちゃん、俺たちの名前知ってんの?」
「?うん。いつも廊下にいるから覚えたよ。………笠松も、ありがとう」


 が質悪いと思うのはこんな時だ。こうやって無自覚に、周りをたらしこんでいく。
 鈴木と佐藤がさっきまでどれだけ本気だったかはわからないけど、今の赤く染まった顔を見る限りに落ちたのは明らかで、俺はこっそり溜め息を吐いて笠松を見た。それは笠松も呆れていると思ったからだったんだけど…


「…お前もかよ!」


 視線の先の男の頬も赤かった。そりゃあもう見事に、見たこともないくらい。
 思わず突っ込むと笠松ははっとして、こほんとひとつ咳ばらいをした。…ごまかしているのがバレバレだ。


「れ、礼を言われるようなことなんてしてねぇよ」
「そんなことないよ。…気付いてくれて、嬉しかった」


 そう言うの顔を見てぎょっとした。はにかむの頬が赤い。向かい合う笠松も、珍しく柔らかい笑顔を浮かべてを見ている。
 …何だこれ。もしかしてそういうことなのか。鈴木とか佐藤とかいう奴らのことは思い切り他人事だけど、と笠松は俺の友達だ。その友達が…しかも友達同士が恋に落ちる瞬間なんて、初めて見た。
 男同士ってどうなんだ?うまくいくのか?相手ならビジュアル的に何の問題もないし、当人たちが良いなら俺は応援するけど。
 それに男同士でくっついたら女の子がそれだけ余るっていうことで、その女の子たちが俺を好きになってくれるかもしれない。そうしたらハーレムが作れるんじゃないだろうか。


「森山、予鈴鳴ったよ」


 そんなことを考えているうちに、予鈴が鳴っていたらしい。いつの間にか笠松たちはいなくなっていて、がじっと俺を見ていた。


「ぼーっとしてどうかした?」


 どうかした?と聞かれて、まさかと笠松の恋(と俺のハーレム)を案じていたなんて言えるわけがない。鈍いのことだから、まだ何にも気付いていないんだろうし。


「いや…怖かったんだな。気付かなくて悪かった」
「何で森山が謝んの。あれは笠松が凄いんだよ。まさか気付かれると思わなかった」


 これでもポーカーフェイスは得意なつもりだったのに、と悪戯っぽく笑う。それでもさっきのことを思い出しているのか、頬はほんのりと赤くて、何となく微笑ましい気持ちになる。



「うん?」
「頑張れよ」


 不思議そうなの背中をぽんぽんと叩くと、言葉の意味なんて全然わかっていないだろうに「わかった、がんばる」とは笑顔で頷いた。
 こういう天然なに合うのは、しっかりした姉御肌の女の子だろうと思っていた。でも笠松なら頼りがいもあるし、下手したら普通の女の子より男にモテるを守ってやることもできるだろう。それこそ、さっきみたいに。


「あ、そうだ。さっきありがとね」
「何が?」
「俺のこと庇って、鈴木の手払ってくれたじゃん」
「ああ…笠松があいつの肩掴み返したから、あんまり意味なかったけどな」
「そんなことないよ。あれでほっとしたもん、俺」


 照れくさそうなところを見ると、お世辞でそう言っているわけじゃないようだ。あれだけでもの役に立ったんなら良かったと思いながら、ふと思うのは。が女の子ならここで恋に落ちていたのは笠松じゃなくて俺だったかもしれないという、そんなことで。
 …何かちょっと悔しくなってきた。


「…、うまくいったら俺にも彼女できるよう協力しろよ」
「いいけど、何の話?」
「お前の話」
「えー?」


 俺の言葉を本当の意味でが理解するのは、これからもうしばらくあとのこと。

恋のはじまり

( 2012/08/04 )