ヘッドホンで音量を高くして音楽を聴いていても、カリカリとシャープペンシルを走らせる音が聞こえるような気がする。これは疲れているせいだと、ユキは顔を顰めて一度手を止めた。 ヘッドホンを外して音楽を止めると静寂が広がった。時計を見ればもう夜中の2時を過ぎている。ニコチャンの煙草の煙が漂ってくることも、キングたちの騒ぐ声が聞こえて来ることもないはずだった。 建物が古いせいで、いくら気を付けてもドアを開ける時はギィィと音を立ててしまう。今更こんな音ぐらいで起きるメンバーではないので、ユキは気にせず廊下に出た。部屋を出れば真っ暗だと思ったのに、居間に明かりが点いていて少し驚く。そろそろと覗き込むと、予想に反して居間には誰もいなかった。だが、台所から微かに音が聞こえて来る。 「…?」 そこに居たのはだった。ずっと部屋にこもっていたから来ていることさえ気付いていなかったが、今日もハイジのところに泊まっているらしい。 何をしているんだろう。そう思うより早く、火にかけられていた薬缶がピーと音を立てた。 「ああユキ、丁度良かった。コーヒー入れるけど、飲む?」 はユキが起きていたことを知っていたようで、突然話しかけても驚いた様子はなく、慣れた手付きで火を止める。言われてみて初めて気が付いたが、シンクの上にはインスタントコーヒーとカップが2つ用意してあった。は甘党なので、牛乳と砂糖も置いてある。牛乳までは分かるが、その上で砂糖を入れるというのがユキには考えられず、無意識に眉を顰めた。 けれど、喉は渇いている。19時くらいに夕食を食べてから、一滴も水分を取っていないのだ。 「飲む」 「了解」 そう言いながらもが新しいカップを出さないことに、ユキは首を傾げた。2つあるカップのうち1つはのもので、当然もう1つはハイジのものと思っていたが、ハイジの部屋の電気は消えていたし、この場にも姿はない。気になって尋ねると、は簡単にその理由を明かした。 「最初からユキのだよ。喉渇いて起きたら、ユキもまだ起きてたようだったから」 カップにコーヒーの粉を入れてお湯を注ぐ。それに少しだけ牛乳をたらしたものを、はユキに差し出した。無言のまま受け取って口を付けると、コーヒーの苦さと牛乳のまろやかさが口の中に広がる。 ずっと机に向かっていたことで溜まっていた疲労が、少し和らいだ気がした。 「ユキがブラック派なのは知ってるけど、夜中だから牛乳入れた方が良いと思って。大丈夫だった?」 「ああ…ありがとう」 「どういたしまして」 にこりと微笑む姿を見て、何となく自分の彼女を思い出した。試験が近付くにつれて連絡を取る回数が減ってきているが、ここにいるのが彼女だったら、ユキの好みを知った上で敢えて牛乳を入れてよこすなんてことが出来ただろうか。そもそも彼女がユキの好みを知っているのかどうかさえ分からない。何せユキは彼女の好みを知らないのだ。 のように気の利く友人がいると、どうも彼女に対しての評価が厳しくなってしまうな、とまるで他人事のように考えた。だが結婚まで考えているわけではないのだし、別にそこまで厳しく考えなくても良いのだと思う。一緒にいて苦痛ではなく、そして連絡をしなくてもうるさくない彼女であればそれで構わない。 …けれど。のような女性がいたら、きっとその女性を好きになるのだろうと、ユキは漠然とそう思った。だったらでいいじゃねぇかとニコチャン辺りは言いそうだが、は大切な友人で、ハイジの恋人だ。好きになる対象からは外れている。 ただもしがハイジと付き合っていなかったらどうだったのだろう。その時は少し違っていたかもしれないと、ユキは火傷したのか舌を出すを見ながら異なる未来を想像して笑った。 「さて、と。少し寝てからまた勉強するかな」 「あんまり根詰めすぎないようにね」 「わかってるよ」 もしもの話は、有り得ないからこそ考えられる。とユキの距離は、このくらいが丁度良いのだ。 ドリームラバー
( 2009/09/13 )
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