Heilmittel






「本当にいいのか?」


 そう問い掛けられるのはもう5度目になる。紅葉は微笑んで、ゆっくりと頷いた。それでもは不満らしい。後数分すれば、また先の質問をされるのだろう。サボろうかと誘ったのは紅葉の方なのに、何故かの方が紅葉に対する罪悪感に苛まれているようだった。


「…付き合わせてごめんね」
「別にいいけど。…何かあった?」
「あったよ」


 心配そうに覗き込んでくるの言葉には肯定したが、それ以上言うつもりはなかった。そしても無理に聞く気はないらしく、小さくそっかと呟いてから、黙り込んでしまった。
 窓が開いているのか、どこかの教室から声が聞こえてくる。聞いたことのない内容だから、2年か3年のものだろう。本当ならば自分たちも授業を受けている筈の時間帯だ。それなのにこんな風に屋上でサボっているのは、果てしなく落ち込んでいるからだった。
 絆も好きな人も、一気に失った。試していないから分からないが、きっともう女の子に抱き着いても変身することはないだろう。だからといって、透に抱き着ける訳がない。以前は何も考えずに無邪気に笑って、ふざけて抱き着くこともできた。けれど、今はもう無理なのだ。好きの意味が皆とは違うのだと気付いてしまった。…紅葉も、透も。
 今まで築き上げた関係は変わらないと分かっているのに、自分にはもう何もないような気がする。どうすればいいのか分からない。―――これから何を支えに、生きていけばいいのかも。


「………」
「紅葉」


 無意識に握り締めた拳を、ふわりと何かに包み込まれた。紅葉ははっと我に返って、いつの間にか目の前に来ていたをじっと見つめた。


「紅葉?」


 紅葉の手を包み込んだのは、の手のひらだった。名前を呼んだ声は柔らかくて、交わった視線は優しい。それがまるで全身で大丈夫だよと言ってくれているようで、紅葉は目頭が熱くなるのを感じた。


「……」


 慰めてもらうつもりで、サボるのにを誘った訳じゃない。はいつも一緒にいる友達だったから、傍にいないと落ち着かないのだ。だから、誘ったのに。実際には、こんなにも慰められている。名前を呼ぶだけで、こんなにも胸が温かくなる。
 ぼろぼろ溢れる涙を、は何も言わずに指で拭ってくれた。以前はより小さかった紅葉だが、ここ数ヶ月で追い越し、僅かではあるが見下ろすほどになった。だから抱き着くのではなく、抱き締められるようになった。
 込み上げるこの気持ちは一体何なのだろう。抱き締めれば、ぽんぽんと背中を叩かれて。どうしようもなく込み上げる、この気持ちは。
 絆も好きな人も、失った。どうすればいいのか分からなかった。だけどそれでも、がいる。何も言わずにただ傍にいてくれる人が、紅葉にもいたのだ。






(君だけは失いたくない、)





( 2006/06/03 )