ウォッチドッグ 「あちー」シャワーを浴びても、朝練が終わった後はどうしても体が火照って暑くなる。制服の襟元をぱたぱたと仰いで風を作っていると、隣を歩いていた仁王が嫌そうに眉を顰めた。 「あんまり暑い暑い言いなさんな。こっちまで暑くなるじゃろ」 「仕方ねぇだろぃ。暑いんだからよー」 「冷水でも浴びれば良かったんじゃないすか?」 にやにやと笑う赤也を、後ろを歩く真田たちの目に入らないよう殴りつける。いてぇ!と騒ぐのを無視して歩き出すと、前方に見慣れた後ろ姿を見つけた。クラスメイトのだ。 反射的に隣を見上げたその時にはもう、其処に仁王の姿はなかった。 視線を戻せば、さっきまで一人で歩いていたに声をかける仁王が目に入る。思わず「早ぇ…」と漏れた呟きを拾った赤也は、ブン太の視線を辿っての姿を見つけると、あ、と声を上げた。 「あれ、仁王先輩お気に入りの人ですよね」 ブン太たちの学年ではは前に付き合っていた彼女の影響でそれなりに有名だが、赤也が知っているのはそのせいではない。前に一度、テニス部内で噂になったことがあるからだ。仁王が大事にしている人がいる、と。それを面白がった連中がを一目見ようと代わる代わる会いに来て、が困惑していたのはまだ記憶に新しい。 「お前、にちょっかい出すなよ?」 「えー」 「えーじゃねえっつーの。仁王が怖ぇんだよ」 詐欺師の異名を持つ仁王はに対しては誠実で、にちょっかい出したり余計なことを言おうものなら番犬よろしく噛み付かれる。何度か噛み付かれた経験のあるブン太がそう言うと赤也はつまらなさそうに唇を尖らせて、渋々と頷いた。 「ブン太」 その時、名前を呼ばれて赤也から視線を移すと、が立ち止まってこっちを見ていた。仁王はその隣で、大人しく佇んでいる。 「よう、」 「おはようございます、先輩」 昇降口はもうすぐ其処なのに、何故か赤也もブン太について来て挨拶をする。ちょっかいを出さないと約束したばかりなのに、鶏頭の赤也はそのことを素早く頭の片隅に追いやったらしい。おかげで仁王の視線がブン太に突き刺さる。俺は悪くねぇだろ!と文句も言えないほどの冷たさに、汗もすっかり引いてしまった。 赤也の存在にはぱちくりと目を瞬かせて、前に一度会ったことがあると思い出したのか、ああ、と小さく微笑んだ。 「仁王の後輩くんだ。おはよう」 「赤也でいいっすよ」 「…のう、赤也」 頷いたに満足気に笑った赤也の肩に、するりと仁王の腕が回される。呼びかける声は、に向けられるものよりずっと冷たい。それに感じ入るものがあったのか、赤也はひぃっと体を強張らせた。 「お前さん、宿題が残っちょるんじゃなかったかの…?」 「しゅ、宿題…?」 「そ、そうだ宿題っ!早く行ってやんねぇと間に合わねぇぞ!」 ブン太も乗ったそれは、もちろん赤也を此処から手っ取り早く追い払いたいがための嘘だった。戸惑う背中を押してせっつくと、ようやく状況を察した赤也は逃げるように校舎の中に駆け込んだ。 「もうすぐ予鈴鳴るけど、間に合うかな?」 「大丈夫じゃろ」 それが嘘とも気付かず会ったばかりの後輩の心配をするに、仁王が笑いかける。ブン太たちの前では絶対に浮かべない柔らかい表情を見て、ブン太は思う。確かにには誠実だけど、ある意味最大の詐欺みてぇなもんだよなぁ、と。 ( 2010/05/19 ) |