フロムクライ
彼女が去った後も、俺はしばらくその場から動かなかった。…いや、動けなかった、という方が正しいかもしれない。もう授業は終わったし帰ればいいんだろうけれど、まだきっと教室にはクラスメイトが残っているだろう。……正直、今、あのノリの中に入っていくのは、辛い。 立っている気力すらなくて、そのまましゃがみ込む。無意識にため息が漏れて、じんわりと視界が滲んだ。その涙を拭った手でくしゃりと前髪を掴むと、また、ため息が零れた。 「?」 突然声をかけられたというのに、今の俺は感覚が麻痺しているのか、驚くこともなかった。顔を上げるとそこにはクラスメイトの仁王が立っていて、しゃがんだままぼんやりと見上げる俺に困惑したような表情を浮かべていた。いつも飄々とした仁王にしては珍しい。そう思ったけれど、すぐにその表情は俺が泣いているからだと思い当たった。 「…泣いてたんか。悪いことしたのう」 そうしてそのまま踵を返して立ち去ろうとするから、俺は思わず吹き出してしまった。 怪訝に思ったのか、仁王は足を止めてこっちを振り向いた。その顔はやっぱり怪訝そうに顰められている。 「……何笑っとるんじゃ」 「や、ごめ、…っはは、仁王って、そーいう奴だったんだ」 クラスメイトとはいっても、グループが違うから会話という会話をしたことはない。仁王はあのテニス部のレギュラーなだけあって有名だけど、一方の俺は平々凡々な一般人で、接点なんてほとんどなかったから。 だけど仁王は、思ったとおりの人だった。他人との距離の取り方を分かっている。 「そーいう奴がどういう奴だかは分からんが…傍におってもええんか」 その言葉に一瞬きょとんとした。意味は…俺の傍にいてくれる、ということで良いんだろうか。 あの仁王が?と意外にも思ったけれど、俺も何だか仁王にならば傍にいてほしい気がした。きっと仁王は、俺がイヤだと思うことをしない。そんな確信があったからかもしれない。 「…仁王さえ良ければ」 少しだけ笑みを浮かべてそう言うと、今度は仁王がきょとんとして、それからふっと吹き出した。 「泣いたり笑ったり、忙しい奴じゃの」 立ったままの仁王はそう言って、俺の頭をぽんぽんと撫でた。その手のひらの優しさが、思っていたよりずっと優しくて―――…笑ったことで忘れたはずの涙が、ほろりと零れた。 「…ごめん、仁王。ちょっと泣いていい?」 「構わんぜよ。好きなだけ泣きんしゃい」 まるで天気の話でもするかのような、何でもないその言い方が、俺の涙腺を更に緩めた。
*ゆるやかになく
( 2008/09/04 ) |