フロムクライ



、椎名と別れたってマジ!?」


 フラれた翌日、教室でぼんやりしていると、登校してきたブン太にいきなり問い詰められた。がくがくと肩を前後に揺さ振られて、視界が揺れる。


「…もう知ってるんだ」


 噂って怖いな。昨日別れた彼女――椎名が言い触らすとは思えないんだけど、どうして噂が広がっているんだろう。昨日のあの光景を、誰か見ていたんだろうか。
 うんざりしたように呟くと、ブン太は大きい目を更に大きく見開かせた。もしかしたら、デマだと思っていたのかもしれない。


「え、じゃあ何、マジなわけ?」
「あー、まーね…」


 そこにはあんまり触れないでほしい。さすがに昨日の今日じゃ、まだ回復しきれていないのだ。
 どうしようかと悩んでいると、ぐえっとブン太が奇声を上げた。何事かと思って見上げれば、ブン太の背後に白い影。…昨日散々お世話になった仁王が、そこに立っていた。


「朝から騒がしいぜよ」
「げ、仁王!離せよ、痛ぇだろ!」


 よく見るとブン太は、まるで猫のように仁王に襟首を掴まれていた。そのせいで首が絞まっているらしく、苦しそうにばたばたともがいている。
 暴れるブン太をものともせずに、仁王はちらりと俺に視線を向けた。昨日泣き顔を見られてしまっただけに、何だか少し目を合わせるのが恥ずかしくて、思わずへらりと笑ってしまう。困った時に、こうして笑って誤魔化そうとするのは俺の悪い癖だった。
 仁王はそんな俺に苦笑いを浮かべた。…それは、凄く意外な表情だった。


「デリカシーのない奴ですまんな、
「や、大丈夫だよ。…それより、昨日はありがとな、仁王」


 結局あの後、仁王は俺が落ち着くまでずっと傍にいてくれた。慰められたり励まされたりしたわけじゃなかったけど、俺は別にそういうのが欲しかったわけじゃなかったから、何も言わずに傍にいてくれるだけで十分だった。だから今こうして普通にしていられるのは、仁王の存在が大きい。


「何のことじゃ?」


 それなのに仁王は、分かっているくせにしらばっくれる。一昨日までの俺ならきっと、こんな反応を冷たいと思ったはずだ。だけど今は、それが仁王の優しさだと知っている。だから敢えて、それ以上は何も言わなかった。


「…つーかお前ら、仲良かったっけ?」


 俺と仁王の会話を不思議に思ったらしく、ブン太は首を傾げた。何て答えればいいのか分からないでいると、仁王が俺の肩に腕を回してにやりと口の端を吊り上げる。


「ブン太は何を言っとるんかのう。こんなに仲良しじゃのに。なあ、
「―――うん、だよな」


 答えながら、自然と笑みが浮かんだ。仁王は俺の調子を崩すことで、俺を本来の調子に戻そうとしてくれているんだって分かったから。
 俺と椎名の恋愛事情は気になっても、俺と仁王の友情はどうでもいいらしく、ブン太はふーんとだけ言って去って行った。少しだけ、はぐらかしてしまったことを申し訳なく思う。けれど話さずに済んだことの安堵の方が比重は大きかった。…自分がフラれた話なんて、誰だってしたくないもんな。


「ありがとう、仁王」
「プリッ」


 言われた言葉の意味は分からなかったけれど、俺を見た瞳は優しくて、その瞳があるからこそ、俺は平気でいられるんだと気が付いた。




*きみがいるからぼくはわらえる





( 2008/09/04 )