フロムクライ



 然程親しい相手じゃなくても、誰と誰が付き合ってる、とか、そういう噂はすぐに出回る。それは、他でもない俺自身が良い例だった。椎名と俺が付き合い始めた頃も素早く噂が流れたと思ったら、別れた後も驚くほど早く広がっていた。放課後に別れて、その次の日の朝には皆に知れ渡っているのだから、当人としては堪ったもんじゃない。
 基本的に、俺の情報網はブン太だ。あの性格故に、ブン太は友達が多い。色んなところで噂を仕入れてきて、俺に教えてくれる。だから俺は、仁王が付き合ってきた女の子たちのことも、一通りは知っていた。


「仁王、ちょっといい?」


 だから彼女が仁王に話しかけてきた時も、すぐに彼女が仁王の元カノだってことに気付いた。背が高くて顔立ちのすっきりした、はっきり言ってしまえば綺麗な女の子。女の子、っていうのも憚られるくらい大人びていて、仁王と並ぶと美男美女という感じで迫力があった。


「何じゃ?」
「ここじゃ言えない。一緒に来て」


 彼女は俺をちらりと見て、そう言った。きっと、人前で話せるような内容ではないんだろう。俺がいなくなって済むならいいけど、何しろここは教室のど真ん中だ。周りには俺以外にもたくさんクラスメイトがいるから、俺一人いなくなって変わるものでもない。
 仁王は少しだけ顔を顰めて、気乗りしなさそうに席を立った。彼女はそれを気に留めた様子もなく教室を出て、もう一度仁王を見る。早く来い、そう言っているようだった。


「…すまんな。ちょっと行ってくるわ」
「ああ。いってらっしゃい」


 仁王が謝る必要なんてないのに、律儀に俺にそう言ってくれるのが何だかおかしくて、笑いながらひらひらと手を振ると、仁王は「すぐに戻る」と言い残して教室を出て行った。
 後に残された俺は、手を下ろして溜息を吐いた。あの雰囲気は告白だな。何となくそう思ったら、少しだけ気分が滅入った。


「元カノが今更何の用だろうな」
「ブン太」


 さっきまで仁王が座っていた席に、いつの間にかブン太が座っている。ブン太は廊下を見ていた視線を俺に向けると、ぐっと顔を近付けて来る。


「お前、あいつらがヨリ戻したらどうすんだよ?」
「え?どうするって、別に、」


 至近距離にある瞳が鋭くなる。すべてを見透かされているようで、気が気じゃない。例えば今の呼び出しが告白だったとしたら、くっつかなきゃいいって思っていること。もしかしたら、ブン太は気付いてる…?
 ブン太は黙り込んだ俺を暫く見つめた後、視線を逸らして身を引いた。


「ま、それは絶対ないだろうけどな」
「…なんで?」


 絶対、なんてどうして言い切れるのだろう。首を傾げると、ブン太はさっきよりも雰囲気の柔らかくなった目を細めて笑った。


が嫌だと思ってるから」


 一瞬何のことを言っているのか分からなかった。けどそれが、仁王と元カノがヨリを戻すとしたら俺がどう思うか、という質問に対してのブン太なりの解釈だと気付いて、一気に顔に体中の熱が集まる。


「当たってんだろぃ?」
「うー…」


 否定も肯定もしていないのに、ニヤニヤ笑うブン太は楽しそうだ。そんなに分かりやすいのかと思うと、何だか恥ずかしいし悔しい気分になってくる。だから少しだけ反論してみた。


「ヨリを戻すかどうかなんて、分かんないだろそんなの」
「それが分かるんだって」
「何でだよ」
「何でも!」


 そこまできっぱりはっきり言い切られたら、そう信じる根拠が俺にはないのに、本当にそうなのだと思えてくるのだから不思議だ。「そうなんだ?」と問うと、ブン太は気を良くしたように笑って、「そうなんだ」と答えた。
 俺が嫌だと思うから。さっきのブン太の言葉を思い出す。それはまるで言霊のように力を持って、俺にその感情を抱かせた。この間ふと思い浮かんだ時よりずっと素直に、そう思うことができる。


「…仁王に彼女ができるのは嫌だな…」


 俯いて小さく本音を呟くと、大きな手で頭を撫でられた。小さな子どもをあやすようなその柔らかな動きに、何故だかとても安堵する。…多分これは、ブン太の手じゃないな。これは―――


「仁王…」


 他の誰でもない、仁王の手。
 顔を上げると、思ったとおり、仁王がどこか嬉しそうに笑みを浮かべて立っていた。


「なかなか可愛いことを言ってくれるのう」
「何だよ仁王、早かったな」
とすぐに戻るって約束したからな」
「…さっきの子は…?」


 何言ってるんだ、と言う前に、そっちの方が気になった。俺の言葉に仁王はああ、と呟いて、それから今度はニヤリと笑う。


「告白されたが断った。もう他の奴には興味ないんでな」


 だから心配せんでええ。続けられた言葉と、未だ俺の頭を撫でる手のひら。向けられた笑顔に何だか胸がきゅうっと締め付けられるように痛む。
 ヨリが戻らなかったことに安堵するのに、素直に喜ぶことができないのはどうしてだろう。仁王が言った最後の言葉のせいなんだろうか。仁王に好きな人がいることは知っていたけれど、そこまで想いが深いなんて知らなかった。
 けれどそれを表に出すことはできなくて、俺は、そっか、と曖昧に笑うことしかできなかった。




*このきもちはまるで、





( 2008/09/09 )