「若、起きてください、若――」 耳に心地良い、囁くような声が風に乗って脳裏を揺さぶる。リクオは瞼を持ち上げて体を起こすと、くあ、とひとつ欠伸をした。 「今日も気持ちの良い朝ですよ」 部屋の中を見渡しても、リクオ以外の姿は見えない。けれど声は聞こえるし、声の主はリクオが目覚めたことを知っている。 襖を開けて外に出ると、彼は庭木に寄り掛かって優雅に微笑んでいた。 「おはよう、」 「おはようございます、若」 というのは彼、妖怪・木霊の人間としての名前である。は雪女や青田坊のようにリクオとともに学校へ通っており、フルネームはと名乗っている。人型にもなれれば獣の姿にも音にも変幻自在に姿を変えることのできる彼は、リクオを起こすことを日課としていた。 外はの言うとおり、良く晴れた良い天気だった。何とはなしにの姿を眺めながら鳥の鳴く声を聞いていたが、そののんびりとした時間は、ばたばたと廊下を駆ける音でかき消されてしまった。 「あ、リクオ様!おはようございますっ」 「おはようございます、リクオ様」 廊下の向こうから慌ただしく現れたのは雪女で、その後ろをのんびりと歩いてくるのは首無だった。雪女は既に制服姿に着替えており、急ぐ必要なんてない筈だが、その顔には焦ったような表情が浮かんでいる。 「おはよう、つらら、首無」 「騒がしいな、つらら。どうした?」 気付いた時にはは雪女の背後に立っていた。木々のざわめく音に紛れたのか、自身が音となったかは分からない。だが長い付き合いの皆は驚くことなく、それを当たり前に受け入れる。 「、私のマフラー知らない?」 「知らないけど、見当たらないのか?」 「うん…どこ行ったのかなぁ」 ふたりのやり取りを黙って見ていたリクオは、雪女の困った顔にぱあっと顔を輝かせて、にっこりと笑った。 「ボクの貸そうか?学校から帰って来たらじっくり探せばいいよ」 「えっ、リクオ様のをですか?!」 「うん。いや?」 「そんな!」 もちろん、雪女は嫌なわけではけしてない。ただ、雪女や他の妖怪たちにとって、リクオは主と仰ぐ存在である。そのリクオを助けはしても助けてもらうのは以ての外であって(今更と言われればそれまでなのだが)、つまるところ今の申し出はありがたい反面とても困る類のものなのであった。 「じゃあ待ってて。持ってくる」 けれどリクオはそんな雪女の葛藤など知る由もなく、更に笑みを深めると素早く部屋の中に戻っていってしまった。その後姿を目で追いながら、雪女はちらちらと困ったようにを見る。はくすりと笑んで、雪女の跳ねた髪を手のひらで撫で付けた。 「い、いいのかなあ…」 「若のご好意を無下にするよりは何倍も良いと思うよ」 「…そうだよね。ありがとう、!」 の許しを得て、雪女は安堵したようにほうっと息を吐くと、リクオの後を追って行った。残された首無はじっとを見つめて、呆れたように笑みを浮かべる。 「…は雪女に甘いよね」 「雪女だけじゃなくて、俺は若にも首無にも甘いつもりなんだけどな」 「それはどうも」 こうして彼らの一日は始まる
( 2009/08/06 )
|