甘やかす事情 「失礼します」からからとできるだけ音を立てないように戸を開いて、体をするりと部屋に滑り込ませる。中にいる筈の保険医の姿は見当たらない。不思議に思いはしたがそれ以上気にはせずに、鳳は備え付けのベッドに向かった。 保健室には病人が眠るためのベッドが全部で5つある。今は入口から一番遠く、窓際に一番近いベッド1つだけが使われているらしい。そこだけがカーテンで周りから隔離されていた。鳳は迷うことなくそのカーテンを引いて、ベッドの中を覗き込んだ。 「?」 控え目の声で名前を呼んでみる。深くは眠っていなかったらしく、ベッドの住人はすぐに目を開いた。 「長太郎…」 「ごめん、起こしたね。具合どう?」 「微妙……今何時?」 「4時前。荷物持ってきたよ」 「………え。」 は昼前から調子が悪いと言ってこの保健室で休んでいた。鳳は休み時間の度に様子を見に来ていたのだが、眠っているを起こすのも忍びなく、そのまま寝かせておいたのだ。 少なくとも4時間は眠っていたと知って驚いたのだろうか、は目を見開いた。 「…有り得ない…」 「よっぽど調子悪かったんだよ。一人で帰れる?」 「ヘーキ。…ちょた、手、貸して」 「どうぞ」 自分に向けて延ばされた手を引っ張って、が起き上がるのを手伝う。ありがと、という声に返事をする前に、思いの外掴んだ手が熱いことに気が付いた。 「…熱、計った?」 「来た時に計ったけど…」 「何度?」 「…37ちょい」 それにしては熱い。きっと寝ているうちに熱が上がったのだろう。額に汗で張り付いた髪をよけて手を乗せると、やはり37度以上はあるような気がした。 「やっぱり俺、送っていくよ」 「え…だって部活、」 「ちょっと待ってて」 鞄の中から携帯を取り出して、メモリの中から宍戸の番号を呼び出す。もしかしたらもう部活に行っていて携帯は持っていないかもしれないと思ったが、宍戸は何度目かのコールで出てくれた。 『おう。どうした、長太郎』 「すみません宍戸さん、今日遅れます」 『そうか。なら俺から跡部に言っておくな』 下手に詮索しない宍戸がありがたい。鳳は表情を緩ませて、電話向こうの相手に頭を下げた。 「はい、お願いします。じゃあ失礼します」 通話を終えた携帯を閉じて、ぽかんとしているに笑いかける。これで何の気がねもなくを送って行けることになった。部活を疎かにはしたくないから休むとは言わなかったが、も心配なのだ。だから鳳は、遅刻という方法を選んだ。 の鞄を掲げて帰ろう、と声をかけると、は申し訳なさそうに眉を顰めた。 「…ごめん、迷惑かけて」 「いいんだよ、俺が好きでやってるんだから」 「……俺が言うのも何だけどさ、お前、俺に甘すぎない?」 「そうかな?」 そんな風に考えたことはなかったが、当人に言われるのだから相当なのだろうか。鳳は今までの自分のへの接し方を思い返してみた。確かに他に比べると甘いかもしれないが、過剰だとは思えない。唸る鳳には小さく息を吐き、それから諦めたように笑った。 「…まあ、いーけど」 熱があるためか、いつもより無防備な笑みだ。鳳は一瞬その表情に目を奪われて、それを誤魔化すために乱れたベッドを整えた。 (…これだから、一人で帰らせたくないんだよなぁ…) だから送って行くのは、のためではないのかもしれない。きっと自分のためなのだ。
( 2006/05/13 )
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