「眠るのが怖いんですか」 「…何よ、急に」 せっかく良い気分だったのに、その一言で酔いが一気に醒めてしまった。は酌をするために徳利を準備しながら、口元に笑みを湛えてあたしをじっと見つめている。 すらりとした長身に、端整な顔付き。穏やかな口調に優しげな雰囲気は、勿論と言うべきなのか、女の子たちに人気が高い。見慣れている筈のあたしさえ、ふとした瞬間にはっと目を見張ることがある。 だけどの場合、その笑顔が曲者だった。つまる話、は笑顔の裏で何を考えているか分からないのだ。こんな風に笑顔で、あまり触れられたくないことをずばりと言ってくる。 「どうぞ」 言われるがままにお猪口を突き出すと、とくとくという独特な音を立てながらお酒が波々と注がれた。けれどそれに口を付けようとしないあたしに、は首を傾げる。 「呑まないんですか?」 「あんたが呑めるような状況じゃなくしたんでしょうが。…さっきの、どういう意味」 「そのままですよ。お酒の力を借りなければ眠れないんでしょう?」 ずけずけと言いたいことを言った後、は自分で勝手にお酒を注ぐと、ぐいっと一気にそれを呷った。人に図星をさしておいて、暢気なものだ。いつも飄々としてるけど、が慌てることってないのかしら? 色々考えてみて、ひとつだけ、良い手が思い浮かんだ。思わず口元に笑みが浮かぶ。 「ねぇ」 「はい」 「あんたが添い寝してくれるんなら、あたしきっと、お酒なんてなくても眠れると思うのよね」 いつもより胸の谷間を強調してみせながら、ずい、とに近寄る。これで慌てないなら男じゃないわね。 そう思っての行動だったのに、はいつもと変わらない調子でお猪口をテーブルに置いて、にっこりと笑った。 「お望みであれば、いつでもその大役果たしてみせますが」 「……あんた、ほんっとーにかわいくないわね」 「ありがとうございます」 誰も褒めてなんかないわよ、このバカ男。 心の中で悪態を吐いて、さっきに注いでもらったお酒を飲み干した。もう結構夜も遅いし、このまま呑み続ける気分でもない。隊長に見つかる前に、ずらかるのが一番だわ。 「これ、片付けといてよ」 「分かりました」 空いたお猪口をの胸元に押し付けて立ち上がる。片付けは全部任せて帰ろうとすると、「おやすみなさい、乱菊さん」とが言うのが聞こえた。 「……おやすみ、」 軽く右手だけを顔の高さまで上げて、そう答える。振り向くことはできなかった。こんなにも顔が火照るのは、酒だけのせいじゃない。 もし、がこれを目当てであたしのことをいつもの松本副隊長とではなくあんな風に呼んだんだとしたら―――本当に、食えない男。 夜迷言 「…本当に鈍い人だな、あの人も」一人残された部屋で、ぽつりと呟かれた言葉。その端整な顔には、笑顔も何も浮かんではいない。その代わり頬にほんのりと朱が差していたことは、皓々と輝く、月だけが知る。
( 2009/3/4 )
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