幸福論

「うまくいったのか?」


 寮の部屋に帰るなり、どこか驚いたような顔をした三上にそう問い掛けられた。三上が言ううまくいったというのは、告白が成功したかということだろう。俺からすれば友達になりたいと言ってもらえただけでも成功なんだが、それは世間一般でいう成功ではないのだと思う。緩く首を横に振ると、三上は怪訝そうに眉を寄せた。


「にしては嬉しそうじゃねぇか」
「友達になったからな」
「…あっそ」


 俺にはさっぱり分からない。そう言いたげに溜め息を吐いた三上は、もう興味を失ったのか、携帯を弄り出した。その行動を見て、のアドレスを教えてもらったことを思い出す。これからはいつでも連絡が取れるのだ。あまり頻繁にメールを送るつもりはなかったが、そう考えるだけで嬉しさが込み上げた。
 はとても綺麗な顔をしているのに、何故か目立たない不思議な奴だ。前髪が長い所為だろ、と三上は言うが、そんな三上はの容姿が整っていることに気付いている。その話をしたときはもしや三上ものことを好きなのかと思ったが、見ている限りどうやらそうではないらしい。何かと聡い三上のことだ、自然と目に入ったのだろう。何せ、と三上は同じクラスなのだ。俺がを知ったのも、そのためだった。
 武蔵森のサッカー部でキャプテンを務める俺は、休み時間などにその日伝えられたことを副キャプテンである三上と笠井に伝えなければならない。ある種の連絡網と言ってもいい。俺が二人に伝えたことは、瞬く間に全学年のサッカー部全員に伝わる。その日も確か放課後の部活で急遽練習試合をすることになって、三上を訪ねたんだったように思う。そしてそこで、を初めて見た。
 窓際一番後ろの席で、教室の喧騒とは無縁そうに、ぼんやりと外を眺めていた。けれど空気には溶け込んで、全く目立ってはいなかった。俺が彼を見つけたのも、偶然だったのだと思う。だが視界に彼を捉えてしまった瞬間、視線を外せなくなってしまった。
 それから三上のクラスに行く度に、の姿を目で追うようになった。彼はいつも一人だった。初めて見た時のように外を眺めていることもあれば、本を読んでいることもあって、たまに思い出したかのようにふわりと表情を緩ませる。その表情をもっと見たいと思うようになるには、そう時間はかからなかった。


「…さわ…おい、渋沢!」
「え?」


 大きな声と足に感じた衝撃に、はっと我に返った。見れば三上が、いつの間にか目の前に立っている。そして今の衝撃は、どうやら三上に蹴られたものらしい。


「何だ三上。痛いだろう」
「バカかてめえ。携帯鳴ってんだろうが!」


 確かに、どこからかけたたましい音が響いている。しかしすぐ止まったところからして、今のはメールだろう。それにしても。


「…そんなに怒鳴ることか?」
「うっせーんだよ。いい加減初期設定から変えやがれ」
「いちいち面倒じゃないか」


 正確に言えば、面倒というより初期設定からの変え方が分からない、という方が近いかもしれない。俺は昔からこういった機器を操るのは不得意な方で、説明書もなしに使いこなす三上を心底凄いと思っている。
 反論しながらも携帯に届いたメールを確認すると、送信者は先ほど登録したばかりのだった。三上が喚いているのを無視して、どこか早まる動悸を感じながら内容を見る。…思わず頬が緩んでしまうのは、相手がだからなのだろうか。メールの内容は簡潔なのに、こんなにも嬉しい。


「どーせなんだろ」
「よく分かったな」
「その顔見りゃ誰だって分かるっつーの」


 そうか?と言うと、三上は呆れたように息を吐いて頷いた。確かに三上の言うとおりだ。メール一つでこんな風に穏やかで幸せな気分にさせてくれたのは、今のところしかいない。


『今日はありがとう。嬉しかった。』


 手の中の携帯には、短いけれど素直な気持ちが伝わってくるからのメール。でも、ありがとうと言いたいのは俺の方だ。突然で驚いたろうに、嫌な顔一つせずに俺の話を最後まで聞いてくれた上、友達にまでなってくれた。きっと何度感謝を述べても足らないだろう。
 その後、返信内容で悩む俺に痺れを切らして三上にまた怒鳴られたが、それすらも今日の俺には嬉しいことで。それをメールでに送ると、思わず爆笑してしまったという内容のメールが返ってきて、それを想像した俺はまた幸せな気分になるのだった。





( 2006/05/02 )
( こんなにも君が好きだから。 )