帰ろうとすると、三上に話しかけられた。珍しいことに思わず返事を返すのも忘れ、立ち止まる。いつもだったら三上はHRが終わった後、すぐに部活に向かっているのだが。


「お前、今日暇か?」
「え、あ、うん。別に用はないけど」
「じゃあちょっと付き合えよ」


 にやりと笑った三上は酷く楽しそうで、断る理由もないし興味も引かれたは二つ返事で頷いた。

芽吹いた感情

「…あいなんだよ」
「え?」


 唐突の言葉を、ぼーっとしていたせいで聞き逃してしまった。聞き返したに気を悪くする様子もなく、三上は歩きながら先の言葉を繰り返す。


「今日、明星中と試合やんだよ。ぜってー負けらんねーからよ、お前に応援してもらおうと思って」


 三上の話から察するに、どうやら向かっているのはサッカー部専用グラウンドらしい。はふーんと相槌を返そうとして、首を傾げた。


「俺が応援しても何も変わんないと思うんだけど」
「まあ、フツーはな。でもあいつは無駄に張り切ると思うんだよな」
「あいつ…?あ、克朗?」


 が応援することで誰かが変わるとしたら、それは渋沢以外考えられなかった。告白されて一か月が経とうとしているが、その間の関係といえば極めて良好である。にとって毎日言葉を交わすのは渋沢だけなのだ。三上ともそれなりに渋沢を通じて親しくなったが、それは挨拶を交わす程度だし、まさか三上自身が張り切る訳ではないだろう。
 しかし渋沢が張り切るという考えは間違っていたのか、三上は勢いよく吹き出した。


「あれ、違う?」
「違くねーけど…お前、いつの間に渋沢のこと名前で呼ぶようになったんだ?」
「結構前からだよ。克朗も俺のことって呼ぶし」
「ふーん、渋沢がねえ…」


 そんな風に渋沢について話しているうちに、いつの間にかグラウンドに着いていたらしい。三上は部活に合流するため、に待ってろと言っていなくなってしまった。
 はどうしようかときょろきょろ辺りを見渡して、取り敢えず木陰にベンチがあったのでそこに座ることにした。さわさわという風で揺れた木の葉の擦れる音が耳に心地よい。天気も良く思わずうとうととしていると、地面が揺れて誰かが駆け寄って来るのが分かった。


!」


 自分の名を呼ぶ声に、閉じかけていた目を開く。分かってはいたがやはり目の前にいたのは渋沢で、何故だかそれが酷く嬉しかった。だから表情も緩んでしまった。


「克朗」
「っ…あ、ああ。三上に聞いたんだが、その…応援してくれるんだってな」


 そこで何故渋沢が動揺し顔を赤くしたのかには分からなかったが、嬉しそうなのでそれは気にしないことにした。


「三上が無理言ったんじゃないか?」
「確かに誘ってくれたのは三上だけど、無理やりじゃないよ。今は俺が克朗を応援したくてここにいるから、むしろ感謝しなきゃなんないかな」


 誘われでもしなければ、フェンスの中で応援することはできなかった。サッカー部専用グラウンドは、その名のとおりサッカー部以外は立ち入り禁止なのだ。
 そう言えば渋沢は微かに目を見開いて、それからはにかむように笑った。


「ありがとう」
「絶対負けられない試合なんだって聞いた。…頑張れ」


 笑みを湛えて、それでも本気でそう伝える。それが渋沢にも伝わったのだろう。真剣な表情で頷いた渋沢に、どきりとした。
 結局試合は武蔵森の勝利で終わった。その中で渋沢はナイスセーブを連発し、勝利に貢献していたのは間違いなかった。試合終了後渋沢は真っ先にの下に駆け寄り、の応援のおかげだ、と満面の笑顔を見せた。試合の中の表情と、その笑顔のギャップに。は胸が高鳴るのを感じたが、それが何なのかは分からなかった。





( 2006/06/21 )
( 芽吹いたのは、小さな小さな君への想い )