黒、透明、紺、透明、透明、黒、透明、ピンク、――――ピンク?
 教室からぼんやりと外を眺めていた俺は、突然飛び込んできた傘の色に目を見張った。男がピンク?一瞬脳裏をそんな疑問が過ぎったけれど、よくよく見れば傘の中には男女ふたりの姿があった。この学校に女子生徒はひとりしかいないから、ならあれは夜久の傘かと納得する。
 目の悪い俺でも、じっと目を凝らせば夜久の隣に立っている男が誰なのか分かった。夜久は傘の中にすっぽりと収まっているけど、男…錫也の方は右肩がほとんど傘から出ているからだ。
 相変わらず仲が良いふたりに、無意識に漏れるのは溜め息。実際錫也と付き合っているのは俺だし、夜久相手にいくら妬いても限りがないというのは分かっているけれど、あんなにも距離が近いと不安にもなる。
 それに、夜久の傘に錫也が入っているということは、傘を忘れたのは錫也ということで。そういう時に頼るのが夜久というのも、何だか切なかった。


「俺も傘、持ってるんだけどな…」
「じゃあ、俺のこと入れてくんねえ?」


 小さく呟いた独り言に、何故かそんな返事が返ってきた。驚いて振り向くと、罰の悪そうな顔をした哉太が立っている。昼休み以降姿を見ていなかったから、もうとっくに帰ったものだと思っていた。


「哉太、まだいたの?」
「帰ろうと思ったら雨降ってたから、止むまで保健室で寝てようと思ったんだよ。そしたらこんな時間までずっと寝てた」


 罰が悪そうなのはそのせいか、と苦笑いが浮かんだ。いつもだったら夜久と錫也が哉太を置いて帰るわけがないから、ふたりもきっと哉太の机にカバンがないのを見て、帰ったと思っていたに違いない。


「いいよ、帰ろうか」


 机脇に下げていたカバンを持って、哉太の背中をぽん、と叩く。そのままふたりで教室を出た。


「悪ィな」
「や、俺も帰るところだったし」


 傘は、哉太が持つと言ってくれた。の傘だし、入れてもらうのは俺の方だから、と。意外に律儀なんだなと笑えば、一瞬不貞腐れたようにしたけれど。お願いしたら、哉太は笑顔で頷いてくれた。
 そういえばこうして哉太とふたりだけで話すのは初めてだ。いつもは錫也や夜久も一緒にいたから、ふたりになるということがなかったし。でも話題に困ることもなければ、居心地が悪くなることもないから、結構相性はいいのかもしれない。
 それを言うと哉太は少しだけ考える素振りを見せて、何故か申し訳なさそうに顔を顰めた。


「俺、のことあんま好きじゃなかった」
「え」


 突然の告白に表情が強張る。態度に出されたことはなかったからそう思われていたなんて、全然気付かなかった。なら今の俺の言葉は物凄い勘違いということになるんだろうか。恥ずかしさに、かあ、と耳まで熱くなる。
 俺の心情に気付いたのか、哉太は慌てて首を横に振った。


「で、でも今は、と同じこと思ってた。と一緒にいると楽しいっつーか」
「…本当に?」
「ほんとだって!…ただお前、錫也と付き合ってんじゃん」


 小さく呟かれた言葉に、どうして哉太が俺のことを好きじゃなかったのか気付いた。哉太はきっと、嫌だったんだろう。今までは哉太と夜久と錫也の3人でいたのに、俺がそこから錫也を奪うような形になってしまったから。


「…ごめん」
「謝ることねーよ。ずっと3人でいられるわけねえしな」
「でも錫也は哉太と夜久のこと大好きだよ。何かあったら、きっとふたりのこと優先すると思う」


 思わず愚痴っぽくなってしまった俺の言葉に、哉太は驚いたように目を見開いた。


「そんなことねえだろ?何でそう思うんだよ」
「…今日だって錫也、夜久と一緒に帰ってたし」


 言うか言わないか迷って、結局言ってしまうと、あー、と視線を逸らされる。俺と哉太がこうしてふたりで帰ることになった理由に気付いたんだろう。


「何見てんだと思ってたけど、あいつらのこと見てたのか…」
「ちなみに、俺たちみたいに相合傘してた。ピンクの傘で」
「そりゃ月子の傘だな。…何か、悪ィ」
「はは、何で哉太が謝るんだよ。いいよ、おかげで哉太とこうやってふたりで話す機会が持てたわけだしさ」


 そうだ、そう思えばむしろ良かったとさえ思える。哉太にずっと嫌われたままなのは嫌だし、仲良くなれたのは俺が錫也と付き合っていく上でも重要なことだろうから。


「少しずつでいいから、俺も3人の中にいれてくれたら嬉しい」
「…ああ。お前なら、いいよ」


 優しく笑いかけられて、ほっとする。これは錫也の恋人として、認めてもらえたってことで良いんだよな?
 そうして色々と話しているうちに、寮についていたらしい。あっという間だったな、と思っていると、


!」


 ばしゃばしゃと水が跳ねる音と俺を呼ぶ声がして、気付けば頭からタオルで包まれた。突然のことに何の反応も返せないでいると、すぐ脇で話す声が聞こえてくる。


「哉太、帰ってたんじゃなかったのか?」
「保健室で寝てたんだよ。つーか錫也、何でここにいるわけ?」
「お前が部屋にいないから心配してたんだよ。…まさかと一緒に帰ってくるなんて思わなかった」


 その間も歩く足は止まらなくて、俺はタオルで包まれているせいで何も見えないまま、背中に添えられた手に支えられて歩く。元々玄関は目と鼻の先だったから、すぐに着いたのが幸いだった。
 わしゃわしゃとタオルで、髪とか濡れた制服を拭いてくれているのは、分かっていたけど錫也で。何故か強張っている表情に、俺は首を傾げた。


「錫也?」
「ああ、ごめんな。大丈夫か、寒くないか?」
「え、あ、うん。俺は大丈夫だけど…哉太の方が」
「俺も大丈夫だよ。お前、俺のこと濡れないようにしてくれてただろ?」


 傘を持ってくれていたのは哉太だったけど、体調が悪くて早退しようとしていた哉太を雨に濡らすわけにはいかなくて、さり気無くスペースを作っていたことにどうやら気付かれていたらしい。哉太は「ありがとな」と笑って、俺の頭をぽんぽんと撫でた。


「哉太」
「はいはい、悪かったな。じゃー俺も部屋戻るわ」


 ひらひらと手を振って、自分の部屋に向かう哉太。その後ろ姿を何とはなしに見つめていたら、ぐい、と手を引かれた。


「俺の部屋に行こう」


 そう言った錫也の声も雰囲気も、いつもよりずっと固い。何故か、錫也は怒っているようだった。
 錫也を怒らせるようなことを何かしただろうか。せっかく哉太と仲良くなれて浮上した気分が、一気にどん底まで突き落とされる。
 錫也の部屋に着くまでは、錫也も無言で俺も無言。泣きたくなってきたところで錫也の部屋に着いて、押し込められるように部屋の中に入った瞬間、ぎゅうっと強く抱き締められた。


「…、何で哉太と相合傘してるの?」
「え、…哉太が傘持ってないようだったから?」
「うん、それはありがとう。哉太がずぶ濡れにならなくて良かったよ。でも、も風邪ひいてるんだから、悪化させるようなことしちゃだめだろう」


 その言葉に、ぽかんとする。風邪をひいたって俺が気付いたのは、昨日の夜のことだ。余計な心配をかけるのが嫌で、錫也にだって言わなかった。


「何で…」
「気付かないわけないだろ?俺はの恋人なんだよ?」
「そう、だけど」
「…それに、が俺以外と相合傘しているのは気に食わないな」


 今までより低くなった声。嫉妬してくれているんだって分かって嬉しくなったけど、それは俺の台詞でもある。


「錫也だって、夜久と相合傘してた」
「見てたのか?」
「見てたよ。錫也が傘ない時に頼るのは俺じゃなくて夜久なんだって思って、凄く落ち込んだ」


 そうは言ってみたけれど、錫也が俺を頼らなかった理由については、さっきの言葉で何となく分かった。俺が風邪をひいているから、悪化させたくなかった。きっとそういうことなんだろう。
 驚いたせいか一瞬緩んだ腕の力が、また強くなる。落ち込む必要はないよって、まるで言葉じゃなくて態度で表してくれているみたいだ。


「…ごめん、言ってることとやってることが矛盾してるな、俺。が落ち込むとは思わなくて」


 錫也にとって夜久は、ひとりの女の子である前に昔からの幼馴染みなんだって、前に言っているのを聞いたことがある。だから俺が嫉妬するだなんて思ってもいなかったんだろう。…俺も、まさか錫也が哉太に嫉妬するとは思わなかったからお相子だけれど。


「今回はお互い様ってことで…仲直り、してくれる?」
「ケンカはしてないけどね。……これで仲直りな」


 俺の言葉に笑った錫也が、ちゅ、と軽くキスを仕掛けてくる。風邪ひいてるのに、と俺が慌てると、錫也は更に笑みを深くして。


「風邪が早く治るおまじないだよ」
「…それ、俺以外にはしないでね」
「当たり前だろ?…だけだよ…」


 うん、という俺の言葉は、錫也の唇に吸い込まれた。

Adversity builds character

( 2012/02/05 )