キィ、とドアを開けて外に出る。暖かかった部室とは違い、外はもうすっかり涼しくなっていた。無意識に擦り合わせた両手が震えているのを見て、これが寒い所為だったらどんなに良かったか、と自嘲気味に笑った。 利央に彼女が出来たらしい。メールが来てにやついているところを準太に見つかって、携帯を取り上げられた利央はすべてを白状した。彼女は同じクラスで、ちいさくて可愛くて、好きで我慢出来なくなったから自分から告白したのだと。からかわれて泣きそうになりながら、真っ赤な顔で彼女について語る利央は真剣で、だけどとても嬉しそうだった。本当に好きなんだなあって、傍から見てもわかるほど。 からかうのはみんな、利央を可愛がっているからだ。だから部室の中は祝着モードが蔓延していて、それが俺には居辛い雰囲気だった。利央を祝いたくないわけじゃない。おめでとう、良かったなって、心から思ってる。…だけどそれ以上に、羨ましかっただけで。 誰かを好きになって、その誰かからも同じだけ好きになってもらえるということが、俺にはどうしても想像出来ない。利央と同じように女の子を好きになれたのなら、俺だってもしかしたら今頃は彼女が出来て、幸せに笑っていられたのかもしれないけれど。…俺が好きになるのはいつだって自分と同じ男で、しかも俺を好きになってくれそうにない、女の子を好きなフツーの奴ばかりだった。 どうして俺はこんなに不毛な恋ばかりをするのだろうと、毎回真剣に考えるのだけれど、答えは未だに分からないまま。このままじゃあまりにも自分が報われないので、女の子を好きになろうとしたこともある。だけど、なろうと思って出来るものじゃない。そもそもそれが出来たのなら、最初からわざわざ男を好きになるわけがなかったのだ。 …あの場に居辛かったのは、多分利央が羨ましかったからだけじゃないんだと思う。何れ他の奴らだって彼女を作り、自分と同じくらいの好きを、彼女から返してもらえる。幸せになれる。そういう未来が待っているみんなの中、俺だけが異質で。 「…寂しい、なあ」 呟いたその言葉は、暗闇に溶けて消えた。それがあまりにも寂しくて、じわりと滲んだ涙が頬を伝う。周りに人がたくさんいる時こそ孤独を感じるのだから切ない。仲の良い奴ばかりなのに、俺はひとりきりだった。 恋愛の喜びを、痛みを、俺も他の人と分かち合えるのなら良かった。そうすればこうしてひとりで泣くこともなかったし、ひとりきりだと感じることもなかっただろうに。 「さん」 突然、名前を呼ばれて。びくっ、と体が強張った。 いつの間にか、背後に準太が立っていた。目が合った瞬間気まずそうに準太が顔を逸らしたのを見て、そう言えば俺は泣いていたんだったと思い出す。ぐし、と手の甲で涙を拭ってから、「準太」と何でもないように名を呼び返した。 「何かあった?」 部室で何かあって俺を呼びに来たのかと思って問い掛けたけれど、準太は緩く首を横に振るだけで、なかなか話を切り出そうとしない。ただその間も少しずつ距離を詰めてきて、とうとう準太は俺の目の前に立った。 「…さんが、その、いなかったんで。どうかしたのかと思ったんです、けど」 いつものポーカーフェイスが崩れて、苦虫を噛み潰したような顔で俯く姿に、もしかしたら準太は俺が泣いているところだけでなく、寂しいと呟いたところも見ていたのかもしれないと思った。それなのに恥ずかしいとも思わなかったのは、準太が良い奴だって知っているからかもしれなかったし、俺がいないと知って追い掛けてきてくれたのが嬉しかったからかもしれなかった。 「…利央の彼女が好きだったんですか?」 その言葉には思わず笑ってしまった。言われてみれば、何も知らない奴からすれば今の俺はそうとしか見えないんだろう。後輩の彼女に横恋慕していて、失恋した可哀想な男。 だけど実際は、もっと性質が悪い。準太の言葉は笑っているのに泣きたい、俺をそんな複雑な心境にさせた。もうどうにでもなれ、と自棄になって、自虐心が首をもたげる。 「…好きなのは利央の方だって言ったらどうする?」 「え」 「そうだったら、準太はどう思う?気持ち悪いとか、嘘吐くなとか、色々あると思うけど」 後輩を困らせて、俺は一体何をしたいんだろう。 準太は俺を凝視したまま固まって、…何故か酷く、泣きそうな顔をした。 「嫌です」 「……いや?」 予想もしなかった言葉だった。だからうまく漢字が思い出せなくて、嫌、という字を思い出すまでしばらくかかった。その間準太は必死に何かを考えていたようで、視線を彷徨わせていた。 「すんません、俺、ぐちゃぐちゃでよくわかんないんですけど、気持ち悪いとか、そういうのはないです。それにさん、こういう嘘は吐かなさそうだし…だから利央をスキだってのもほんとなのかなって思うんすけど、それは嫌っていうか」 一気に捲し立てられて、頭の回転が追い付かない。けれどそんな俺には気付かない準太は更に言葉を続けて、俺の思考を完全に停止させた。 「だって、何で利央なんですか?利央を好きになるんなら、俺だっていいじゃないすか!」 言い切った本人は肩を僅かに上下させながら、じっと俺を正面から見据えてくる。その顔が泣き出しそうなのは、準太も言っていたように、自分でもよく分かっていないからなんだろうか。それでも俺に聞かれたから、まとまらない考えを、必死に言葉で表してくれた。 準太の言葉に、きっと深い意味はない。だって準太は今、とても混乱している。そうさせたのは他の誰でもなく俺自身だ。だからその準太が言う言葉をそのまま鵜呑みにしちゃいけない。そう、思うのに。 気持ち悪いと言われるかと思った。嘘だと否定されるかと思った。蔑みの目で、見られるかと思った。俺はそうされることで傷付きたかった。だってどうせ俺は孤独なんだから。誰かと相容れることなんてないんだから。仲良い奴らの中で孤独を感じるくらいなら、最初からひとりの方がいい。そう、思ったんだ。 それなのに、準太は気持ち悪いと言わなかった。嘘だと否定もしなかった。蔑みの目で見ることもなかった。それどころか俺のことなんかで真剣に悩んで、俺を傷付けるどころか受け入れてくれた。 準太が来たことで止まっていた涙が、準太の言葉で、表情で、またぼろぼろっと零れる。だけどこれは寂しいからじゃない。嬉しいから、だ。 「準太って、意外に俺様なんだな」 「…利央に負けるのが嫌なだけっすよ」 自分が何を言ったのかようやく理解したのか、俺がまた泣き出したことにうろたえていた準太は、唐突な俺の言葉に真っ赤になった顔を背けた。優しい後輩の負けず嫌いな一面に、ふ、と笑みが浮かぶ。 …ほんとうに、準太が来てくれて良かったと思う。根本的な問題はほとんど解決していないけれど、それでも俺の心は軽くなった。自虐心もすっかり薄れて、何となく罰が悪くなる。自分のために俺は準太に嘘を吐いたのだ。 「…あ、でもごめん。別に利央を好きってわけじゃないんだ」 「え、…そうなんすか?じゃあ何で、」 「俺、男しか好きになれないから。あの雰囲気の中に居辛かっただけ」 涙を拭いながら答えると、まだ少し赤い顔が、きょとんと俺を見た。けれどさっき散々混乱したからか、その反応は拍子抜けするくらい大人しいものだ。今の準太には、そうですか、と頷いて、笑う余裕さえある。 「さんが俺より利央を好きってわけじゃなくてよかった」 「そんなに利央に負けたくないわけ?」 元々準太は野球に関して熱いところがあるけれど、普段は冷静な奴だから、そこまで勝ち負けに執着している姿を見るのは不思議な感じがしておかしかった。笑いながらからかうように言うと、準太は表情を消して首を傾げる。その反応が意外で、俺もつられるように首を傾げた。 「違うのか」 「違うっつーか…いや、違わねえのかな」 準太はまだ、考えがまとまってないのだろうか。難しい顔をして、俺に答えるわけでもなくぼそぼそと呟く。 俺と準太の間に沈黙が広がった丁度その時、ガチャリとドアの開く音がして、急にみんなの声が聞こえ出した。一瞬準太と顔を見合わせてから振り向くと、部室からぞろぞろと部員たちが出てくる。どうやら利央の告白タイムは終わったらしかった。 「何だ、そんなとこに居たのか」 「利央の話、そんなにつまんなかったー?」 けらけらと笑いながら声をかけてきたのは、慎吾と山ちゃんだった。「ほれ」と言いながら慎吾が俺のバッグを押し付けてくるのを受け取る。 準太のバッグは山ちゃんが持ってきていた。礼を言いながらそれを受け取る準太からは、ついさっきまでの困惑した様子は微塵も窺えなかった。ポーカーフェイスはこういうところで使うのか、と妙なところで感心してしまう。 「ふたりで何やってたんだ?」 まるでいけないことのように、声を潜めて慎吾が聞いてきた。俺はニッと笑って、慎吾の耳元に顔を寄せる。 「内緒話」 「…何で準太なんだよ」 不機嫌そうに顰められた顔は、内緒話を相談事か何かだと思ったようだった。あながち間違ってもいないけれど、どうしてそれを俺が準太にしたことだと思ったのだろう。準太から俺への相談だと思っても良さそうなのに。不思議に思ったけれど慎吾は勘が鋭いところがあるから、きっとそのせいなんだと思う。 「…なぁ慎吾、俺がどんな秘密抱えててもトモダチでいてくれる?」 慎吾の言い方はまるで相談する相手が何で俺じゃないんだと言っているようだったので、敢えて質問には答えず、そう聞いてみた。 慎吾は更に顔を顰めて、容赦の無い蹴りを繰り出してきた。 「いっ…!」 「俺に、簡単にトモダチ止められるようなダチはいねえんだよ」 腰に膝が直撃したせいで、あまりの痛さに涙が滲む。痛ェよ!と文句を言ってやりたかったけれど、慎吾の言葉にそんな気分じゃなくなった。 嬉しくて顔が緩みそうになるのを必死に堪えて、うん、と頷く。慎吾は照れ臭いのか、俺の方をろくに見ないで歩き出した。 「あー、今日も疲れたなー」 「利央のせいで余計疲れたよな」 「なんで俺のせいなんすかぁ〜」 「なあ、コンビニ寄って帰ろうぜ」 「どこの?」 「今日はセブンな気分」 他愛のない会話をしながら、ぞろぞろと帰路に着く。部室にいた時のように周りにみんながいても、今度はもう寂しいとは思わなかった。それが誰のおかげかなんて、そんなのは分かりきっている。 「準太、」 前を歩いていた準太の隣に早歩きで並ぶ。さっき話が途中で中断されてしまったから、大切なことを伝えていなかった。 「話、聞いてくれてありがとな」 あんまり突っ込まれるのも嫌なので、周りに聞こえないようにこっそりと囁くと、準太は「どういたしまして」と破顔した。その顔は普段はかっこいい準太からはまるで想像もできないくらい可愛くて、どきりと胸が跳ねた。さっきからずっと、優しくされてもときめかないように我慢していたのに。こういう不意打ちは、やばい。 …ああもうバカ準太。好きになったらどうするんだよ。 overcome solitude
( 2009/09/13 )
|