冷えた空気に身を震わせて、目を覚ましたところで体が温もりに包まれた。


「…悪い、起こしたか?」


 広い背中に腕を回すと、ちゅ、と瞼に唇を落とされる。甘やかすように背中と頭を撫でる手に夢の中へと引き戻されそうになりながら、は石鹸の匂いのする胸元に頬を寄せた。


「ん…おかえり、山本」
「ただいま」


 この部屋のもう一人の主でもある山本は、帰ってきたのが深夜でどんなに疲れていたとしても、ベッドに入る前にシャワーを浴びることを忘れない。それは彼が属するマフィアという仕事の性質上、仕事の後は香ることになる血の臭いを、に嗅がせたくないからだという。
 も同じ仕事をしているが、回される仕事は表の仕事ばかりで、怪我や死とは一切無縁な場所にいる。裏の世界に身を置くことを決意し、山本と付き合っていくことを選んだのだから、遠慮したり無理することはないと言っても、山本はそのことに関しては頑として首を縦に振らなかった。
 ボスや仲間から山本の仕事内容について聞くことはあっても、本人の口からは一切語られないことを寂しく思う日もある。けれどそういう日は必ず、山本は自分のベッドがあるのにも関わらず、のベッドに潜り込んできた。まるでの寂しさを、温もりで埋めようとするかのように。…それはとても効果的だった。少なくとも、は山本の愛情を疑ったことなど一度もないのだから。


「どうした?今日は甘えんぼだな〜」


 まるで猫のように体を寄せるに、山本はどこか嬉しそうだ。けれどひとりベッドで眠りながら、この温もりを待っていたからだとは言えない。
 黙り込むをぎゅうっと抱き締めてくる山本に身を委ねていると、不意に先日の会話を思い出した。


「…山本、明日休みなんだっけ?」
「おう、久しぶりに休みだぜ。もだろ?どっか行きたいとこあるか?」


 イタリアに渡ってからは仕事ばかりで、観光はほとんど出来ていないから、行ってみたいところはたくさんある。一緒に行きたいところも。けれど、それが口をつくことはなかった。


「ううん……そばに、いたい」


 今は何処かに行くよりも、山本の傍にいたい。そう呟くに、山本は息を飲む。


「……誘ってんのか?明日休みだから、手加減しないぜ?」


 ぎしり、揺れるスプリング。暗闇の中、更に覆い被さってきた闇に、は微かに微笑んだ。

闇夜の誘惑

( 2010/06/05 )